日本国民全てが今の世に満足していない訳ではないが、どこかおかしいと感じている筈だ。
しかし、どこがおかしいのかに気づいていない。
いや、気づこうとしていない。むしろ気づこうとしている事を、恐れているのである。

それに気づけば今の社会では村八分にされ、「良い人?」として生活していくことは少し窮屈になることを知っているからである。

じゃあ、気づけば何を失うのか?何を恐れているのか?ということになるが、大人として人間として何十年も社会の中で生活してきた者であれば思い当たることの一つや二つ、自問自答すればあるはずである。
そして、本当に気づいていないことも沢山あると思っている。

 私は太平洋戦争(第二次世界大戦)を知らないが、私の父は激戦地フィリピンへ赴き、六千人いた部隊で三人の生き残りの内の一人である。子供の頃夕食の度に戦争の生々しい体験談を聞かされ続け、中学生になる頃には父親の話は自分の体験談となるほどに覚えてしまっていたが、その父親は利き腕の右手を落として日本に帰国して後、私が生まれた。

 日本は戦争に負けたのだ。世界一優秀で勤勉で心優しく思いやりを持った民族が、世界一の文化を誇る日本が略奪民族(偽善国家の欧米)に負けてしまった。
日本以外の世界の国は日本を日本人を、恐れている。日本人は“恥”を知り、“心に則”を持ち、“思いやり”があり優秀で勤勉なのだ。この日本が経済力と軍事力を兼ね備えたら、世界の指導者になるであろう事を欧米諸国は明治の頃より恐れていた。いや、今も恐れていると言うべきであろう。

 現在の日本は世間で言われているように、アメリカ合衆国日本州である。世界にとっても良き“パパ”である。おねだりすればいくらでも金を出してくれるし、欲しいものも買ってくれる。少々パパを裏切っても、外で悪口を言っても怒らない。この状況が良いのか悪いのかは判断がつかないが、戦後まんまとアメリカの戦略に乗せられ、立派な政治家や優秀な官僚が日本を導いてくれたお陰で“どこかおかしい”ことが始まり、一つ二つと増え続け、今は“おかしくない”ことの方が少ないところまで来ている。

 私は建築の設計を業として三十五年、私立の大学で十八年非常勤講師を勤めて人生を切り抜けて来た。その中で“おかしい”と感じ“どこが”を見つけ“どうすれば”をずっと考えてきた。それを話してみたい。
最初にお断りをしておきたいが、私の口癖「私の常識は世間の非常識、世間の常識は私の非常識」そして「驕らず謙らず」が私の人生の指針で、私から“女癖の悪さと博打好きを取ったら私は聖人君子だ。”と嘯いている。このことを頭に置かれて、先を御理解下さればとても嬉しい。

「鶏肋」とは鶏ガラのことである。とても安くて一匹丸ごとで八十円程度。取るに足らない価値のものであるが、旨く料理すると、とてもおいしい料理になる。“鶏肋”を“人”に置き換えると・・・・・。と思い、大学の非常勤講師を勤める間、心ある学生を集め、会の名を「鶏肋会」と命し、論語、四文字熟語、諺の社会で生きてゆく為に必要と思われる最低限を教え、ある一つの言葉を選び、それに対して報告書(意見書・見解書)を作成させてきた。
あまりにも無知で思考力に乏しく、創造性のかけらもない学生達に驚き、始めた会だが、自己中心的で思いやりもなく、無責任の上、責任逃れをするが、しかし必ず言い訳を用意する狡さは持っている。 頭の中身は余計な知識(人により色々だが、流行の歌、服装、ブランド物、芸能問題など)は沢山あるようだが、必要で大切なものは空っぽ。

日本の将来が恐ろしくなった。二十歳を過ぎた日本の男女である。私も若い頃同じようなものだったと思うが、当時から何かおかしいと感じていて、その疑問に答えてくれる教授は見当たらなかった。良い先生だと感じられる方は何人かおられたが、結局は専門分野の教授以外の何者でもなかった。大学から要請があり非常勤を引き受けたのは「私が大学で失望した気持を今の学生達にくり返させる訳にはゆかない」との気持があり、引き受け、講義中に様々な言葉で誘い、きっかけを作り、学生たちが来るのを待ってみたが、失望させられっ放しであった。

余談になるが、私は講義の中で、毎年必ずこの質問をしていた。「今まで本気で親に殴られた経験のある者は手を挙げてみろ」と聞くと、年を追うごとに人数が減っていき、最近は百名中三名程度となっていた。続いて私はこう付け加えた。「皆、良い子だったんだね。怒られる様な悪いことは何一つしなかったんだ。」と学生達の顔を見ると、学生全員が私の顔を見ずに下を向く。「お前達知っているんだ。ごまかして、うまく騙してやってきた事を」そして、学生達が私に少し慣れた頃合を見計らって、又聞いてみる。

「お前達はあと二年もすれば社会人になるが、給料は多いほどいいし、ボーナスも多く、仕事も楽で、勉強しろ、勉強しろと言われない会社がいいよな?」全員が笑みを浮かべ「はい」である。私は続けて「しかし先ではお前達も社長になる日が来るかもしれないが、その時そんな奴でも雇いたいか?」と問い直すと、全員の顔が硬ばり、下を向く。
「こういうのを自分勝手というんだ。自分はそこそこ良い人間だと思っているだろうが、本心はこんなものだ。よく自分の姿が見えただろう。反省しろ」と諭したものだ。

最後の極めつけはこの話である。

「私は学校の先生ではない。酒代欲しさに(酒代にもならない金額であるが)来ている用心棒だ。学校や先生はお前達をお客さんとして扱ってくれるが、私は違う。学問は先生から教われ。私は学者ではないので学問は教えられないが、ものを創る手法と手順、心を教える為に来ているんだ。何も出来ないまま学校を卒業するか、何かを掴んで社会に出るか、それが嫌なら学部を変えろ。まだ遅くはない。考えても見ろ、医学部に行った学生が実験嫌いだ解剖嫌いだ、文系の学生はいいよなぁ〜、学校へ行かなくても試験とレポートさえ提出すれば卒業できるから・・・・・。こんな学生が医師になったとして、お前達この医師に診察してもらいたいか?そうは思わないだろう」

お前達も同じだ。先では人が一生の集大成で家を造り、人生の軌跡として会社の社屋を建設する。どれをとっても数千万円以上の金額で、その人達の想いはどれほどのものか。その建物を扱う仕事に関る事になるんだ。その責任の重大さが解らなければ学校辞めろ!大学を卒業したからといって、何一つ良いことなんてないぞ。しかし、お前達はそんな事はないだろう・・・と甘く考えているだろうが、同じ年に大卒と工業工卒が同期入社をして、大卒のお前達の方が劣っていたら、何といわれる。“お前それで大学出たのか!何やっていた”になるだろう。それに親の気持ちを考えてみろ。お前達のような馬鹿息子と馬鹿娘を持ったが為に授業料で年間百数十万円必要だ。生活費など算入すれば最低二百万円だろう。実は知らないだろうが、同じ金額位の税金も投入されているんだ。社会全体からお金を貰って大学へ来ていることを知れ。

 親がサラリーマンなら“この社長殺したろうか"と思っても、子供が大学卒業するまでは・・・と思い、又、経営者だったら“このバカ社員殺したろうか”と思っても、子供が学校を卒業するまでは・・・と、今この時にそう思って仕事をしているかもしれないんだ。お前達さえ学校へ来ず社会に出て勤めていれば、大学生活の四年間で、親は一千万円近い金銭が余分に使えるわけだ。

親父は毎月背広を新調できるし、ベンツにも乗れる。母親は毎月温泉へ行き、おいしい料理が食べれるんだ。そんな親の気持ちを解かれ・・・と言っても無理か。まあ、いずれは我が身だ。先で同じ思いをしてその時になって後悔しろ」と話してきた。私の話を聞いた?学生は二千人余りいるはずだが、その後どうなっただろうか。心に蒔いた種は、育っているだろうか。

しかし、私が問いかけて下を向いた学生はまだ日本人なのだ。“恥”を知っているから下を向く。欧米ならこの様なことはないはずだ。恐らくこう言うだろう。「当然俺が社長になったら、無能な社員は必要ないし、俺のような優秀な人間を雇わなかったら、会社の損失だ!」と。

ぎりぎり間に合うのではないか。欧米に害されてしまった日本の良さと本当の日本人の心を取り戻すことが・・・との想いが捨て切れないまま今日まで来てしまった。

どこかの総理大臣が揚げた言葉。“美しい国 日本” 私は違うと思う。美しい国 日本では単に顔に化粧した女と同じで価値がない。本当はこう言うべきだ。“美しい心の国 日本"を目指さなければならない。