Vol.09

 「〜その9〜」

 大学を卒業後、社会人となり一年が経った頃のこと、充実感を感じられない毎日が続いていた私は、大学時代によく行動を共にし、一緒に遊んでいた同級生に久しぶりの電話をいれてみた。

この同級生は、酒好きで、多少無責任なところはあったけれども、同窓の中では良く気が合ったの内の一人で、大学卒業後は山口市に近い町役場に勤務していた。

暫く雑談をした後「儂、二級建築士とったで!」と言ったので「へえ〜大したもんじゃん」と返事をしたものの、建築に興味などなかった私は「建築士資格取得」など頭の片隅にもなかったのだが、理由もなく何だか負けたような気がした。

 このことを父親に話したら、「資格は取った方がいい、お前も取れよ」と言うので、それじゃあ・・・と思ってはみたものの、実際にその気になったのは、何かしら負けたような気分の方が大きく心と体を動かしたのだが・・・しかし、どうせなら、俺は一級建築士を取ろうと!と思い、調べてみるが、まだ受験資格がない。

丁度この頃、心の中では、建築は好きでないから、何か別な俺に向いた仕事はないものか・・・と思っていたこともあり、丁度いい、資格が取れないから建築を辞めたんだ!と言われるより、一級建築士の資格を取った後に建築から足を洗えば、世間的にはカッコ良いかも・・・と考え、建築士の資格を取ることにした。

なんとも馬鹿げた動機だが、そこで、それじゃあまず二級建築士から始めて、一級はその後だ!と意気込んでみたものの、何から手を付けて良いものかさっぱり解らなかったから、取り敢えず本屋に行ってみれば何か手掛かりがあるかも・・・と本屋に行ってみた。

本屋の中をウロウロと物色している内に、過去五年間の二級建築士問題集と表書きがある本を見つけ、中身をパラパラめくってみると、何となく良さそうに思ったので、まあこんなものから始めてみるか・・・と思い購入してみた。

 二級建築士は四年制の大学(建築学科・その他)を卒業すれば受験資格があるから、同級生は大学を卒業した年に受験し、合格したことになる。

私はこの時まだ将来の方向や、展望が見つけられず、何となく毎日を過ごしていたので(しかし、おなごの尻だけは追っかけていた)、この同級生は随分としっかりしているものだと感心した。

 さてと、そこで問題集を開いてみたら、各年の試験問題と解答の後にそれぞれ「法規・構造・計画・施工」と個別に書いてあるので、初めて建築士の試験には学科が四教科あることを知った。その上、製図の試験があり、製図の試験はこの四教科に合格した後でなければ受験できないことも知った。四年制大学の建築学科を卒業したにも関わらず、何ともお粗末な状況であった。

 問題集の中の「計画」の部門については、ある程度「理科」や「化学」の知識があれば、何とか理解が出来るものだったが、一年近く建設会社にいたにも係わらず「施工」については、知らない専門用語や機械名に加え、工法の名前など初めてのものばかりであった。

「構造」は大学で教わった知識で十分間に合ったが、「法規」に至っては試験問題に書いてある「言葉」が分からないから、問題の意味すら理解が出来なかったので、これには困った。

ここにいたって始めて「建築基準法」なるものがあることを知ったのだが、大学では「(鉄筋コンクリート・鋼構造・木造などの)学会基準」が教科書で、「建築基準法」など欠片も教えて貰ったことはなかった。

私は「やっぱり、何てしようもない大学だったのか・・・駅弁大学とはこのようなものか・・・もっと良い大学に行けば良かった・・・」と思ったのだが、実際には当時、何処の大学でも「建築基準法」を教えるところはなかったのだろうと思っている。

その理由は、自治を認めているとは言え、大学は文部科学省(当時は文部省)の管轄だ。国は国公立、私立を問わず巨額の補助金を出しているから、必ず口も出す。と言うことは、大学と言えども、国の方針には逆らえないから、私が行った大学だけに「建築基準法」の教科がなかったわけではあるまいと想像している。 

 しかし、今は選択科目に「建築基準法」があるようだが、社会に出て、建築に係わる者なら避けては通れない「建築基準法」を必修科目に入れない大学の教育は本当に不思議なことだと未だに思っている。

そこで、建築基準法令集(発刊:(社)日本建築学会)を買い求めて、読んでみたが、このWEB日記の「くたばれ建築基準法」編に書いた通り、日本語で書いてあったが、内容が解らなかった。

何とも言われぬ想いが湧き、無性に腹が立ったけれども、ひたすら建築基準法を読んでみた。が、しかし、やはり解らなかったので、また本屋に出向き、何かないか?と探している内に解説本を見つけたので、買い求めて読んでみた。

基準法を読み、解らないところが出たら、解説本と照らし合わせて理解してゆく・・・これを繰り返している内につくづく思った、もっと国語の勉強をしておくべきだった・・・と。

欧米のまやかし文化に憧れ、惑わされいた自分を恥じたのはこの時が初めてだったが、自国の言葉で書いてある法文(専門用語は別として)が読めないくらい情けないことはなかった。けれども、約一年掛けて勉強した成果は現れ、何とか二級建築士の試験問題が解けるようにはなった。

 とは言っても、あくまで目標は一級建築士だったから、この建築基準法に始めて目を通したとき、何かとてつもなく巨大で、何とも言い表しようがない敵にでも出会ったような気がして、次のように思った。

今までは何とか適当に誤魔化しながらやって来ても渡れた世の中だったが、今回のこれはとても今までのようにはゆきそうにない。誤魔化しや中途半端な知識で通用するものではなさそうだから、少々勉強したくらいでは、とても太刀打ち出来ん!ものだと肌で感じた。

ではどうしたらよいか?と自問自答して出した答えは、車があれば、大した用件でもないのに、つい車に乗って出掛けるし、テレビも目の前にあれば、ついスイッチを入れるような生活をしていたので、これを何とかしなければ試験には合格しないだろうと思った。

この意志の弱さを克服する自信はない!じゃあどうする・・・と考えたあげく出した結論は、そうだ!「車を処分」して「テレビを捨てる」これ以外にない!だった。

そこで、仲良くしていた大学の後輩連中に「誰か儂の車を買わんか?残りの残債を追ってくれるだけで良いんだが・・・」と言うと、その内の一人が親と相談したらしく「直ぐに貰ってこい」と言ってくれたので、すぐさま処分した。

私の持っていた車は新車で一年近く乗ってはいたが、支払いの半分以上済んでいたから、後を追う側はとても安く車が手にはいって喜んでいたらしい。

そしてテレビはそのままゴミ箱に投げ捨てた。自分で言うのも少し変だが、何とも激しい気性の持ち主である、一旦こうだと思うと、損得感情は一切働かなくなり、後先なども考えようともしない。

 夜になると、悪たれ友人達が家の前を車で通りながら、エアーホーンの激しい旋律音を鳴らして、「潤ちゃん出てこい!」と誘うが、もう車はないから一緒に走ってやれない!車を捨てて正解だ、私はその旋律音を聞きながら夜遅くまで建築基準法との取っ組み合いを続けた。

いよいよ、二級建築士の学科試験が迫ってきたので、岩国地域に住んでいる大学の先輩や同窓生と連絡を取り合い、試験当日の打ち合わせをすると、試験会場は山口市で行われるため、前日から泊まりがけで・・・ということになった。

なにせ当時はまだ高速道路などない時代だから、山口市までは車で二時間以上もかかるので、まあ当然といえば当然の選択ではある。

若いだけで何ら取り柄もなく、粋がり、強がった悪たれども5〜6人が、二台の車に分乗して試験前日の夕方、山口市へ向かって車を走らせた。
          
                                   次回はこの続きの顛末をお話しします。