Vol.10

 「〜その10〜」

 日が落ちた頃になって山口市内に着いた。早速予約していた宿に入り、ひとっ風呂浴びて飯を食ったら、悪ガキどもの一人が街に出てみようと言い出した。

明日は学科の試験だから、問題集を開いて復習でもするのかと思いきや、大した余裕だ・・・と思ったが、来る道中の会話などから思うと、どうやら遊びがてらで来ているらしい。

特に山口市内には有名な湯田温泉があるので、当時は娯楽施設も結構あったように思う。

街に出てブラブラしていると、誰かがストリップを見に行こうと言いだして、他の者も「おう!行こう行こう!」と言うので、全員がストリップを見に行くことになった。

私はそれまでソープの経験やストリップなど見たことがなかったので、丁度良い、一度は見ておかなければ・・・良い経験になると思い一緒についていった。

ストリップ劇場の入り口辺りに差し掛かったとき、ふと二階を見上げたら、全裸の女が開いた窓に向かって立っているではないか。

女は私と目があった瞬間に直ぐ窓の前から姿を消したが、窓の高さは膝より少し高い程度だったので、まさしく丸見えだった。ストリップを見る前に、タダで見てしまったので、何となく今から損をするような気分になった。

期待に胸(場所が違う?)をふくらませ?劇場内に入り、生まれて初めてストリップなるものを見たけれども「別段大したことはなかった」がその時の感想で、あんなもの見たところで楽しくも何ともない、やはり、するものだ!と、つくづく思ったものだ。

まあしかし、それも体験してみなければ判らないというもの、結局それ以来今日までストリップ劇場に行くことはなかった。

 そんなことはどうでも良いのであって、それからどうなったかと言えば、ストリップを見た後、まだ少し繁華街を彷徨った後、宿に帰り、皆で夜遅くまで雑談をして就寝となった。

翌朝目を覚まして、旅館定番の朝食を食べてから試験場に向かった。試験場はどこかの高等学校だったような記憶があるが、車を止めて試験会場に向かい、張り出されてある試験会場の教室と受験番号を見比べてみると、この悪ガキどもは受験の申し込みを各自バラバラでしていたため、試験の教室がそれぞれ違う。

そこで、帰りの待ち合わせ場所を決めておき、それぞれ試験会場に入った。試験は択一問題ばかりで、思ったよりも簡単に思えたが、意外なことに試験問題の中には結構過去問題から出題されているものが多くあり、試験用の勉強さえしていれば三割程度正解できることをこの時知った。

 試験を終えて、全員が集まり車に乗り込んで帰途についたが、やはり車中では試験の話題で花が咲いた。しかし、他の者の出来は良くなかったようだ。

約一ヶ月後に私と他の者一人に学科試験の合格通知が来たが、その他は不合格となっていたので、その連中からは多少の嫌みを言われたけれども、軽く受け流しておいた。

次は二ヶ月後に行われる製図の試験となるが、思い出してみても、その時は学科の時と同じように設計製図の過去問題集を一冊買い求めて目を通した程度で、なにか特別に製図の試験のための準備や勉強をした記憶がないが、木造の矩計図(かなばかりず)を書く練習だけはした。

 始めは新聞広告の用紙の裏側にフリーハンド(縮尺を無視した絵図面)で全体の図面を過去問題の模範解答図面を手本にしながら真似て書き、その中に各部分の下地や仕上げの名称を書き込む練習をして覚えていった。

通勤の電車の中で書き、昼の弁当を食べながら書き、仕事を終えてから家でも書く練習をしたので、一ヶ月もすれば、もう模範解答の図面と同じものは頭の中で書くことが出来るようになっていた。

現在のように建築士試験対策の専門学校もなく、その年の課題に即した製図試験用の本が発売されていたわけでもないから、対策を講じようにも、これ以外どうしようもなかったということだ。

製図の試験は学科の試験と同じ山口市内の学校で行われることになっていたため、親戚から車を借りて一人で試験前日に山口市に行き、一泊して試験場に向かった。

そして私は、小さい製図板とT定規・筆記用具を携えて試験場に入り、受験番号が貼ってある机を確認して、椅子に座り準備に取りかかった。暫くして試験開始時間になると試験官が問題用紙を裏面にして配り、諸注意を話し始めた。

それを、うなずきながら聞き、してはならないと言われたことだけを心の中で復唱し、頭に入れた。その瞬間、試験官の「始め!」の声で、教室の受験生全員が「ザア−」という音を立てて試験問題を裏返す。

問題の主題は確か「夫婦と子供二人(男女で高校生と中学生)がいる木造二階建て専用住宅」だったと記憶しているが、自然と問題を読みながら、何を要求しているのか、何を表現すれば良いのか、を考えながら大事な箇所は黄色のマーカーで印を付け(これは私の癖で今だに続いている)、特に大事なところは黄色のマーカの上を赤鉛筆で囲みながら全体構想の組み立てをしていた。

このように、何かを聞きながら(又は読みながら)同時に平行して、その組み立てが出来ることについては、特別に誰かから教わったことはないのだけれど、二十歳が過ぎる頃には自然と身についていたものなので、どうやら生まれつきこの能力を持ってこの世に出されたように感じている。

問題を読み終えて、計画図を書いてみると、意外とすんなり纏まったので、もう一度問題を読み直し、落ち度はないか確認するが、なんら不都合を感じなかったので、一気に製図に取り掛かり、書き始めた。

一階平面図兼配置図・二階平面図を書き上げて矩計図を書き始める。みんなが矩計図は難しいと言っていたけれども、私に頭の中にはすでに完成図面が入っているから、それを解答用紙に写せばよいだけだったので、あっという間に書き終えてしまった。

結局四時間半ある試験時間を一時間も余らしてしまったので、再度問題を読み直して、書き上げた図面に落ち度はないかを確かめ、記入漏れや誤字をも確認して「もうこれ以上することはない!」の結論をだし、試験官に書き上げたので退室したいと申し出たら頷いてくれたので、教室を後にした。

 年末になり二級建築士の合格通知が届いたら、父親はとても喜んでくれたが、一緒に学科の試験を受験した悪ガキどもからは「お前だけ通って・・・」と嫌みを言われ、その後十年余り音沙汰がなくなり、親交が途絶えた。

年が明けて、柳井市の土木建築事務所(現地域事務所)に出向き、二級建築士免許証を貰った。その時勧められるまま、よく解らずに「建築士会」に入会した。

次回からはこの一年後に取得する一級建築士資格のお話しをします。