Vol.18

 「追録〜その2〜」

 宅地建物取引主任者に関する本は、試験の問題集を含め沢山の種類があったので、俗っぽいけれども、本の中でよく見かける「よくわかる○○(宅建業法)」を購入して読んでみた。

法文の解釈では、建築基準法で鍛えてあるから、ある程度の自信はあったが、又これが読めないのだ。何が読めないかというと専門「用語」の意味が解らない。

「用語」の意味が解らなければ書いてあることがぼんやりとしてしまい、先に進めないので、困ってしまい、何か「用語」の「定義」のような解説の本があるのではないかと思い探したけれどもそのような本はなかった。

勿論「広辞苑」を含む一般辞書なども検索してみたが、不動産関係の専門用語の説明などない。これには本当に困ってしまった。せっかく向学心に燃えて「やる気」になったらこの様だ「ヤレヤレ」である。そんな思いをしている内に、そう言えば・・・ふと思い出した。

 以前建築士資格取得専門学校(以後N学院と記します)の営業員が当社を訪れて、生徒の勧誘をしていた時の案内に「建築士」や「土木施工管理技師」に「宅地建物取引主任」の講座があったことを思い出したのだ。

「そうか、この手があった!」と思い、直ぐさまN学院に電話をして聞いてみると、この講座はあると言うので「詳しい話が聞きたいのだが・・・」「分かりました、直ぐにでも伺います」ということになり、説明に来てもらった。

私は「不動産業をやるつもりはないので、資格が欲しいわけではなく、うちのお客さんのために、いつかは必要になろうと思っている、その知識が欲しいのだが・・・」と言えば、「是非入校して下さい」と言い、続いて受講の料金やN学院の講義内容に、N学院の仕組みを説明をし、申込書を差し出した。

確か金額は十五万円位だったように記憶しているが、建築士の金額に比べると随分と安いと思ったものだ。

丁度開講時期にも恵まれて、申し込みの翌月から始まる予定だというのでとても喜んだ。と言うのも、こういうことは、「鉄は熱いうちに打て」の諺の如く、機が熟してなくてはならないものである。

自分の心が「やりたい!」と思っているときでなければ、やってみても成就せず、開講時期がずれて翌年から・・・などとなってしまえば、その間に人の気持ちなど、どのように変化するか知れたものではないし、その時になったら仕事が忙しくて、N学院に通うことが出来ない状況になっているかも知れない。

 そんなことで、仕事を終えて18:30より始まるN学院の「宅建講座」に通うようになった。

仕事の切りが悪くて不快な思いをしながら通ったこともあり、仕事の期限が迫っているので、N学院の講義が終ってから事務所に戻り、明け方まで仕事をしたこともありで、仕事をしながらの通学は、なかなか大変なことだった。

しかし、何が一番の難題だったかと言えば、それは「睡魔」であった。講義は教壇に講師が立って話をするのではなく、教室でビデオを見ながら行われる形式のものだったので、仕事で疲れている上に、講義そのものには抑揚や刺激がない。

そのためか、本当によく眠くなった。でも、その時は洗面所に行き、冷たい水で顔を洗って目を覚ましながら教室に戻ったものだが、また直ぐ眠くなる。

同じ日に二三度繰り返しても眠気が覚めないときもあったので、そこで私は考えた「睡魔との戦」の「武器」を何か手にしなければ、これはダメだと思い、「水」に代わる何がよいかと思って思案した結果「安全ピン」を思いつき、家に帰ってから、嫁に「安全ピンはあるか?」と聞けば「あるわよ」と言うので、私はここで最強の武器「安全ピン」を手にしたのだ。

筆箱の中に「安全ピン」を入れておき、睡魔が襲ってくれば「針」の部分で太ももを刺して、睡魔を撃退するのである。とても痛かったけれども、これはよく効いた。一日に二度刺した以上の記憶がないくらいだ。

しかし、家に帰り風呂に入ると傷が浸みて「あっそうか・・・」と思いだし、太ももを見ると刺した針の痕が見えるので、一体何のためにこんなことやっているのだろう・・・と複雑な気持ちになったことを覚えている。

 講義の内容は建築基準法が二割程度絡み、民法(私は若いとき弁護士になりたかったくらいだ、学生の頃に民法判例集を読んだことがあり、その内容をある程度覚えていた)と宅建業法がその残りなので、比較的楽に受講を終えることが出来たが、さすがに宅建業法の「用語」については、やはり「講義」を受けなければ判らなかったと思っている。

N学院に通ったのは3ヶ月位だったろうか、講義を終了した日に知識を得た私は満足していたので、N学院の担当職員に礼を言って帰ろうとしたところ、「受験しないのですか?」と言うので「ああ、知識が得られたからもう充分だ。別に資格は欲しくないので・・・」と返事すると、「でも、あの〜」「実は・・・」と、もごもごとはっきりしないことを口ごもる。

私は「あっそうか!、あんた達合格率の事を心配しているのか!」と言うと、「実はおっしゃられる通りで、お願いできないでしょうか」と言う。

「資格が欲しくなのに、自腹で受験料を払って、あなた方のために私が受験しなくちゃならんのか?」と嫌みを言ってやったが、日々のテストや模擬試験などでは、いつも高得点だった私が受験すれば、必ず合格すると思っていたのであろう・・・と思うと、この担当者が何だか可哀想になってきた。

恐らく日本全国のN学院の中での合格率の競争もあると思われるし、その担当者が受け持った生徒の合格率もあるのだろう、変な話だが、それを担当者の成績として評価されるのかと思うと「わかった、受けるよ」と口が言葉を出していた。

 その日に受験の申し込み用紙を受け取って帰り、後日その用紙を整えて提出して試験を受けた。結果は合格したので、ついでに「宅地建物取引主任者証」の交付も受けた。

そしてその後「宅地建物取引業」の免許まで取ってしまった。思わぬことが切っ掛けで、何かの弾みまでついてしまい、本人が望まないところまで行くことがあるものだ・・・とつくづく思った三十代半ば勢いのある時だった。

           国家資格追録編を終わりますが、この後「N学院」に講師を要請される話しに続きます。