Vol.10

建築家の私が建築関連の事を文字にせず、政治や行政のやっている世の中の不合理や不可思議さの事を先に書いてしまったのは“怒り”からである。

私の“怒り”は殺してやりたい位の“怒り”であって、力と無限の財力があれば実行したいと本気で考えているほどのものだ。

 人間の社会で“話せば分かる”とよく言うが、建前はそうであっても、実際に話してみても中々そうはならない。若い頃は“話し方が足らなかったか?いや、言葉が悪かったのか?”と随分反省もし、何度も試みてはみたが、やはりダメな相手はダメだった。それ以降、根本の性根と価値観が異なれば話しても無駄であることが理解できるようになって、相手を見極めたら、“近寄らない、余計なことは言わない、親しい付合いはしない”の三原則に則り、人生を歩むことにしている。

力と財力が無い我が身が恨めしいし、悔しい。人の姿をした蜘蛛に、見えない罠を仕掛けて、蝶や蜻蛉を捕って食ってはならんと論としても意味の無いことと同じようなことだ。

今の社会、人の姿を借りた蜘蛛や蜂、サソリ、百足などが多過ぎる。罠に毒、保護色で我が身を守る為なら許されもしよう、だが、攻撃する為に使っているから始末が悪い。

 前置きが長くなったが、今日のニュースで又耐震偽装の問題を取り上げていた。アパホテルと言うホテル業界大手の会社だそうで、女社長の謝罪会見と、耐震偽装に関った建築構造設計者の話す姿があった。

この耐震偽装の問題は、本質の部分が全く理解できていない。ただ表面上の事象を取り上げて、誰が悪いのか?誰の責任か?・・・・・と、報道側もそれらしい事は言っているが、建築行政の本質を知らないから核心が突けないでいる。

問題そのものは、建築基準法の中にあるが、これがとても厄介な代物なので、次回は“くたばれ建築基準法”と題して文にしなければ、耐震偽装問題を含む建築行政全般の暗部に迫れないと思っている。

 結論的な事を先に言えば、今の構造計算はパソコンがやっている。構造設計者は建物の情報(地盤の耐力、荷重、階の高さ、階数、材料強度、地震力、風圧力など多くの諸条件)を数回に渡って入力する。途中の計算過程は機械が行っているので、使っている側の人間には判らない。その過程を紙に打ち出すと、数字の羅列があるだけで、これを見ても計算過程の内容の理解が出来る訳ではないから、悪意を持ってその気になれば、今日のような問題は起きる。
なぜそれを発見することが出来ないか?が最大の争点となるべきなのだが、行政側は己の都合の悪い部分は表ざたにせず、マスコミは建築に関して全くの素人、建築関係の問題が起きると、時々大学教授などを引っ張り出して来るが、所詮学者である。実務をやったことはないし、からっきし理解していないので、当たり障りの無い的外れなことを言っている事が多い。だから、聞いている側は解かる訳がない。

はっきり言えば、次の事柄に原因がある。建築基準法の中で人間の通常の能力では出来ない数式を扱わなければ構造計算が出来なくなってしまった(パソコンの普及が要因になった。)からである。私が二十代の頃の構造計算は簡略法を用い、計算尺や電卓を使って、手書きで構造計算書を作成していた。ただし、簡略法と言ってもいい加減なものではなく、今のパソコンがやる計算を人がやれるように簡略化したもので、結果的には建物の構造耐力に少し余裕がある計算方法だった。

私も当時数十棟の建物の構造計算をしていて、現在も立派に建っている。この計算方法は構造を理解している者なら、書かれている言葉と数字を追っかけて行けば間違っているところは必ず発見できるものなのである。

しかし、前述したように、パソコンの普及が構造計算の簡略法を否定し、人間の能力を超えた計算を強いるように国が法を変えてしまった。パソコンが行う構造計算書の内容の真偽を確かめようとするなら、ある意味もう一度、建築確認申請の審査を行う行政側が計算を始からやってみるほうが早いし、そうしなければ悪意の偽装を発見することは出来ない状況にある。

途中を改ざん出来るような計算ソフトが悪いという意見も出ていたが、人間が造ったものだ、民間のもの造りは全ての悪意に対抗する予想をして物を造り出そうと思ったら、ものは出来ない。

又、計算ソフトはとても高価なもので、国の認定されたもの以外は使用することも出来ない仕組になっている。つまり、全て国が決めた制度の中で行われた結果起きた事件だ。ある意味、偽装を発見する能力を行政が持ち合わせていなかったことであり、新薬を自らが主導し認可しておきながら、とんでもない副作用に対抗する手段が用意されていなかったという事と同じだ。

この結果本年度、又建築基準法が改正される。迷惑な話である。私が二十代の頃の建築基準法の本の厚さは今三倍位の厚さになっている。

秦の始皇帝を滅ぼし、漢帝国を創った劉邦はこう言っている。「法は簡素なほど良い」と。法が複雑になれば何をするにしても窮屈で国民が苦しむことを官僚共は解かっている筈である。

“建築行政の不思議”と“業界の体質”もいずれ語らねば本当の意味で偽装問題の根本、又次に起こるであろう別な事件の解決にはなるまい。

そんな中、国は建築士制度に欠陥があるので再試験をする。とか、能力の向上を計る技能講習を義務付けるとか、一時ほざいていたが、本末転倒な話である。決して建築士の能力の問題などではない。能力なら、偽装した奴の方が偽装を見抜けなかった行政より格段に上だ。人間の質の問題ではないか。

法を次々と増やし、国民を窮屈にするより、“信念と誇り”を持って人生を生きてゆく者に評価を与えられるような社会に創り直すことの方が大事で、日本独自の文化“武士”の心を今一度取り戻せる日本国へ、欧米のモノと金が万能の社会を模倣し続ける現状では、どんなに新しい法を作っても無意味だ。

官僚ども目を覚ませ!我々人類は区間走者であり、次世代へとバトンを渡し続けなければならない責任がある。決して最終走者になってはいけないのだ。

最後に一言付け加える。

 構造設計者といえども、誰かの依頼がなければ、わざわざ手間と時間をかけて計算書の改ざんをする訳が無い。そしてその依頼ができる立場にある者は、建築主か工事施工者以外はいない。

・ 依頼者が建築主の場合   :
自分の利益追求の為(安く建物を造り、稼ぎの効率を上げる)に、建築主から迫られたら構造設計者は良心の呵責に悩みながらも請け負うことはあると思う。

・ 依頼者が建設会社の場合 :
やはり、自社の利益追及の為であるが、これは建築主に対する背任行為となる為、建設会社によほどの借りでもなければ、構造設計者は請けない。
あと考えられることは、自分が行った構造計算は他の事務所が行うものより、鉄筋や鉄骨の使用量が少ないことを謳い文句にして自社の宣伝とし、仕事の受注増進を謀る以外には考えられない。

構造設計者は質問に対し“改ざんを認めた、認めない”と相反する答弁をしているそうだが、質問には誰に頼まれてやったのか、自らやったのかについてはなかった。今日の新聞に、女社長の言葉「権威ある構造設計者を信頼し、皆様にご迷惑をかけてしまった・・・」と。

今回の真実は、このうちのどれだったのか?