Vol.08

「住い 〜その3の続き〜」

 日本と大きく異なるところの一つとして、欧米では子供が生まれたら直ぐに個室に入れて育てることだ。母親は授乳の為に子供室に入り乳を飲ませ、時折オムツを替えに行くのだ。つまり子供室へ親が出向いている事になる。個人主義の徹底した民族の生い立ちというか、原点と言うべきか、個人主義人間の出発点である。
 生まれてから直ぐにたった一人で広い室の中で過ごし、両親は子供の顔を見に室に入って行くのである。と言う事は、両親の意識の中には自分の子供(乳児)を、子供室の「主」として認識しているのだろう。子供の成長過程では、小学生から他人を言い負かす術を訓練し、身につけ、親は子供を決して甘やかさない。小遣いも親は簡単には子供に与えない。何らかの労働による対価か、能力に依る報酬として小遣いを手に入れさせている。

 日本人の親が自分の子供に対して、子供室の「主」として認識出来る者がいるだろうか?答えは否である。子供室は子供可愛さ故に子供に与えたものであり、同様にお小遣いも与えるものと認識している筈だ。日本の親は子供を守ろうとし、子供の成長過程に於いては幼児期より添い寝して生活し、人様に迷惑を掛けないように、他人の物を盗らないように、恥かしい行いをしないようにと、教えてゆく。欧米の親は一日も早く一人立ち(?)させる為の訓練を行う。(他人を貶め、略奪することを含め)。

 日本に於いては、根本的なところで、まず恥かしくない人格を形成し、全体の中に溶け込もうとする方向が見える。全体の和を乱さず、全体あっての己であるという意識が強い。全体とは血縁であり、会社であり、地域であり、国であり地球である。欧米はそうではない。個人あっての全体である。どちらが正しいか誤りかではなく、思考と価値観の相違であるから、どちらかが優れているとは言い難いが、日本の全体主義的土壌の中に欧米の個人主義志向や価値観が不十分な認識の状態で浸透してしまった事が、今の日本の悲劇を生んでいる。

青少年の犯罪の統計が最近特に取りざたされて、少年法の改正をめぐり、各政党や評論家達が様々な意見を言っているが、誰も日本の家屋の構成(障子・襖の時代と扉を持つ個室の今)を基にした犯罪統計の比較をとった者はいない。青少年の犯罪の原点の一つに、家の構成があることに気付かず、皆目眩ましにあっているのだ。

これが当たり前だと錯覚し、疑いもせず、扉付きの個室を子供に与え、無秩序な子供の空想を無限に拡散拡大させて甘やかし、叱りもせず、叩かず、殴りもしない過保護な現状には閉口する。言葉で言って解からなければ、体で教える以外に教育は有り得まい。それを暴力と言うなら、言う方は単なる無知であろうし、言葉の拡大解釈である。言って解かるのなら、大人に対して犯罪者に刑務所という暴力は必要なかろう。言って解からないから、体で教えているのではないか。

 話が反れてしまったが、全体の中の個を重んじる日本人の伝統(血の流れ)として、造りつづけて来ていた日本家屋の室構成に田の字型間取りというのがある。田の字の中の十は、縦横共障子又は襖で仕切られ4室で構成させている。障子、襖を取り去れば大きな一つの室がそこに現れて冠婚葬祭を行う時に使用される。
一生を通じてそんなに数多く使用される事はないのだが、冠婚葬祭とは全体であるから、全体を主としておいておき、個としては四分割された室をそれぞれの目的に応じて日常を使いこなす。

その時の目的と用途、使用する人数によって室の広さが変化する日本家屋、どのような体型の者でも着る事の出来る着物と、どんな形のものも包み込める風呂敷と共通したものを感じませんか?今の家の構成の方が昔のものより進んでいると思えますか?もう一度一笑せずに考え直してみてください。

 住宅販売会社のテレビの宣伝に出てくる様な家の生活は映画の中と同じで、見て楽しむのは良いけれど、現実の生活に馴染むものではありません。家が新しくなっても、住み手の意識や価値観、その上経済力も変わらないのだから、基本的な部分は大きく変わることはありませんが、創り方によっては心の持ち方を変えることによって、生活の意識を変えることは十分可能です。建築家はそこを目指しているのです。

ちょっと本業の宣伝をしてしまいましたが、「世界の建築家で最も有名と思われる人の名前を挙げてみてください。」と質問すると、誰の名前が出てくるでしょうか?ガウディーと言う方もいると思いますが、私は彼の作品はとても美しいとは感じられないので、ガウディーは挙げません。皆さんガウディーの建物を見て、マスコミ等が騒いでいない建物として、初めて見て、本当に美しい建物と感じられますか?もし否の答えを出されれば、あなたの感性は正常だと思います。この意見は以前述べたように、私の非常識から来るものです。悪しからず。

 敢えて挙げるとするなら、二十世紀最大の建築家と言われた“ル・コルビジェ”と“フランク・ロイド・ライト”であろう。
コルビジェはイスや家具のデザイナーとしても有名で、その作品は映画やテレビドラマの中やCMにもよく出て来ますし、私も若い頃何点かの作品を所有していましたが、全て友人に何かの記念に差し上げてしまい、今は一点も残っていません。(余談です)

コルビジェは「モデュロール」と言う人体の可動範囲を図解して世界的に有名になりました。欧米では人体サイズという観点が無かったのです。しかし、その元は日本にありました。「立って半畳、寝て一畳」の畳一枚の大きさこそ、「モデュロール」の原点だったのです。一畳の大きさで人が一人寝る広さとなり、立てれば出入口の大きさになる。この大きさを分割して人体の都合の良い寸法を多く創り出だしたのは、日本の文化です。

 又、フランク・ロイド・ライトは、日本の旧帝国ホテル(大谷石を使用した建物で関東大震災で倒壊しなかった事でも有名になった)の設計者であるが、やはり日本に来て畳一枚の大きさが人体サイズとして使用されている事に驚き、米国内で規格建築工業製品の元を作ったとも言われている。作品の中には日本の唐傘を素材にした金融関係の建物や、落水荘(自然と一体化した建物)など、おおよそ米国人の感性では創る事の出来ない作品を生み出している。あれもこれも全て日本に原点があった事、皆さんは御存知無かったでしょう。

 日本の文化ってすごくない?なぜ私達は捨ててしまったのだろう。