Vol.06

 「〜その6〜」

 登り調子の日本経済は、前述した家電製品を一般家庭にゆき渡らせ、日本の家庭は近代的になってゆくのだが、当時の家電製品の購入方法は「現金」か「月賦」であった。

このことを団塊の世代はまだ覚えていると思うが、今の若者には「現金」は理解できても、「月賦」については、意味も判らず、恐らく言葉さえ知らないだろうと思う。

当時は欲しい家電製品を、現金で買えない場合には、今と違って「月賦(月々の分割払い)」で購入していた。こう言うと、それは可笑しい、今だって私たちは高額の商品を買う場合は「ローン(月々の支払)」で買っているので、変わりはないと言うだろうと思うが、これが大きな違いなのだ。

 まず、商品を「月賦」で購入しようと思えば、販売店と購入者の信頼関係(代金の返済に関して裏切らないであろう・・・)がなければ商談は成立しなかった。

だから、当時の人達は月々の返済に自信が持てなければ、購入すること自体を考えもしなかったし、仮に購入しようとして、販売店に申し込んでも、販売店の方が上手く理由を付けて断っていた。丁度今で言う、地産地消をしている小さな地域限定社会(狭い地域経済で、まだ新幹線や飛行機が一般の交通手段でない)であったため、各家庭の経済状態は地域の誰もが、ある程度把握していた。

そして、仮に月々の支払いが数ヶ月滞るようなことが起こった場合は、販売店がその商品を引き上げて、中古家電として再販していた。今では考えられないだろうが、支払いが滞って商品を手放した家庭に対しては、商品を手放すことで残金に対しての請求をしていなかった(数ヶ月分滞った金額の請求はあったと思うが、商品によってはそれすらしなかったこともあったようだ)。

当時これらの商品には中古品であってもまだまだ価値があり、市場としても十分な販路があったということになる。そんなことが言いたいわけではないのだが、当時の状況知る上で、少し説明を加えました。

当時の人は「分」を弁えていた方が多く、物が「欲しいから」といって、直ぐに「買う」ことはしなかったものだ。それは何故か?と言えば、己の経済状態や社会的地位などの立場、一般社会や近隣家庭との均衡を考えながら、「分不相応」「時期尚早」と自分で判断すれば購入を止めたものだ。

欲しいものがあっても、購入する能力があっても、買わない「分別ある大人」がいたということで、これを「分を弁える」と言う。何を途中で間違えたのか、これを見てきたはずの団塊の世代が「分」を弁えず、子供を育ててしまった。

経済的な余裕ができた結果、子供が欲しがる物は何でも買い与え、近年、子供が社会人になり就職しても、まだ子供に金銭的な援助を続けたり、挙げ句の果てには、結婚する際に家まで買い与えるような馬鹿親がたくさん出てきている。

これが取り返しのつかない社会(人達)を生んでしまった要因の一つだと思うのだが、家庭生活、子育てに関する詳しい解説はまた先送りにします。こうして、各家庭は豊かになって行く中、今で言う最低限の家電製品が一通り行き渡った頃、次には当時の言葉で「3C」なるものを生んで、益々国民の「(物)欲」を煽った。

因みに「3C」とはクーラー(冷房専用エアコン)・カラーテレビ・カー(車)である。

クーラーやカラーテレビはまだ「月賦」で販売していたが、車のような高額商品になると「月賦」での販売ではなく、「手形」で販売していた。

この仕組みは、購入者が銀行に行き、「支払い約束手形」を切って、毎月支払日がくると、この手形を落とし、落ちた手形の金額だけ、毎月車の販売会社に支払われる・・・のようなものだったと記憶している。

恐らく、車は「月賦」で販売していた他の家電製品と異なり、大きな事故でも起こしたら廃車となってしまうので、引き上げても再販が出来ないから、経済の「手形最優先の法則」に乗っ取り販売していたと思われる。

「手形」だと、事故などで車が廃車となり、使いものにならなくなっても、残りの手形の金額に見合う財産を車の購入者から差し押さえる権利があるからだ(「手形最優先の法則」など経済学を学んだわけではないので、違っていたら許して下さい)。

そして、これからが大事なところなので、よく注意して御理解頂きたい。「手形」で代金を支払う販売をした場合、車の所有名義は、手形を振り出した「本人」にあることがその一つだ。

 ところが、もう少し年が進み、日本中の家庭に家電製品や車が行き渡った頃、今度は「新3C」なるものが出てきた。別荘(コテイジ)・電子レンジ(クッカー)・セントラルヒーティングである。

結果的に、その後電子レンジは一般家庭に行き渡ったが、セントラルヒーティングは一時期、高級住宅やビルなどで普及し始めたかに思われたものの、熱源が大きくて、非効率であることを理由に現在ではホテルなどを除けば、この設備は敬遠されている。

別荘も本当に短期的なブームは起きたけれども、日本の社会では(長期休暇がないので、買った当初は珍しさもあり利用したようだが、結局維持管理が出来なくて数年の内に手放す人が多かった)受け入れられなかった。これらも全て欧米でやっていた模倣である事を忘れないで下さい。

 さて、そこで今回は何が言いたいかというと、実は「ローン」についてである。この「ローン」について疑問に思ったのは、私が20代の終わりの頃なのだが、未だにこの仕組みに関して、30年が経過した今でも自分で納得が出来ていない。「月賦」と「ローン」との違いは、月々返済をしてゆくところは同じなのだが、「ローン」は「虚構の経済(目眩ましの経済)」だと私は考えている。

恐らく「ローン」の仕組みも他のもと同じように欧米からの輸入品だと信じている。最も、調べたわけではないので、違っているかも知れないが、この恐ろしい仕組みを、もし日本人が考え出したのであれば、逆説的賞賛に値すると思う。なぜなら、元々日本人は虚構(の経済)そのものを肯定する民族ではなかったからだ。

では、何故私がこの「ローン」の仕組みに疑問を抱いたかを、お話してみます。

「月賦」は月々決まった額を商品の対価として、製造者又は販売者に支払う仕組みだから、購入者が今月支払った金額は、今月支払った金額分だけがこの世(市場)に流れる。

翌月分は翌月にならなければ、この世(市場)には流通しない仕組みで、商品購入の金額は段階的(月々)にこの世に流通してゆく。

と言うことは、一年、12回払いの「月賦」で商品を購入すると、最終の支払い金額(紙幣)は、一年後にならなければこの世に出回らないことになる。

 しかし「ローン」はこの部分の仕組みが大きく違い、支払い(返済)方法はほぼ同じ様な形態をとるが、「ローン」は商品の購入金額を一旦金融機関が全て立て替えて、製造者又は販売者に一度に支払う仕組みになっている。月賦と異なる部分のもう一つは、購入者が代金を販売者に支払うのではなく、金融機関に対して支払うことである(金利を含めて)。

余計なことだが、購入した物品の所有権は支払いが終わるまで「金融機関」にあるから、本来「金融機関のもの」を借りて、使用しているに過ぎないことになる。購入者が金融機関と「ローン」を締結した時点で、数年先、いや数十年先にならなければ、本来市場に出回らない金額(紙幣)が、この世を舞うのである。

確かにこの方式だと、数十年先のお金であるはずのものが、今日の世を舞うわけだから、経済は飛躍的に伸びてこよう。しかし、これを虚構と呼ばないで、なんて呼べばいいというのか。

これは間違いなく“目眩ましの経済”だと私は思っている。人間社会の経済を、まやかしのような仕組みで発展させなければならない理由が理解できないし、「月賦」のように、ゆっくりとした経済ではなぜいけないのか?、その理由が判らないままでいるのです。

そして、その結果、日本は世界から経済大国といわれ、豊かになったと言うけれども、日常生活をする上で、不足している物がないところまで来ている日本において、人として幸せを実感している国民が殆どいない現状をどう捉える?。

 長くなるので続きにします。