Vol.07

 「〜その7〜」

 私は、このような「虚構の経済」はいつか必ず何処かに歪みがくると、ずっと信じて疑わなかったのだが、正直言って、現在その結果がどのようなことなのか?の判断はついていない。

物欲に煽られた日本国民は購買意欲に燃え、また頑張って働いた。団塊の世代が社会人に成ろうとする・・・いや成った頃だったかも知れない。企業は業績を上げ、次々に工場を増やし、新社屋も建設した。

この頃から企業と政府はまたもや欧米を真似て、持ち家制度を推進してゆく中(交通手段の発達もあるが・・・)、核家族と称するママゴト家庭をこの世に産み出した。

このママゴト家庭の親と子供達は、悪いことに欧米の「悪しき自由と平等」はこの世に産まれたときから社会に充満していて、次第に彼らは「自由と平等」を「権利の主張(横暴)」と同語にしてしまった。

これが現在、日本中に蔓延るクレーマーや凶悪犯罪を犯す一般人を生み、給食費不払い親に僅かなことで直ぐ離婚を申し立てる嫁やパチンコ中に子供を車中で死なせてしまうような親を誕生させた原点である。

敢えて言うなら、小さな持ち家とマンションは、このような日本人を産んだ子宮のようなものだと思う。

昔は三代かかって、家を新築するか、建て替えるのが一般的常識のような観念があったので、「ローン」の仕組みなどない時代だから、各家庭は家族全員がこつこつと三代に渉って貯蓄をして、工事費用を捻出した。家族全員と言っても、今のように多くて四〜五人の核家族ではなく、少ない家庭でも七〜八人はいるし、多いところでは十数人の家庭だった。

舅・姑・主人に嫁、子供が三人は当たり前で、その上に小姑や主人の兄弟が同居する家族、そして、家の広さは百坪を超えるものが普通であった。このような家族構成では、お互いの主張がぶつかり、思惑や価値観の違いで、時に家の中は修羅場と化す。

これだけの人間が一つ屋根の下で暮らすのだから、問題が起こらない方が不思議だ。しかしその反面、嫁や子供達はその中で、人間関係の難しさや、理不尽さ、力関係、生活の知恵など多くを学ぶことができた。

そういった意味で、家の中では多少窮屈な生活を強いられたであろうが、それ以上に大きい利点は、大家族構成の家庭は、お互いが社会生活の基本を学ぶ学校のようなものだったということだ。

 ここで、これらのことは伝えたい内容が複雑に絡み合うので、少し整理をし、区分わけて考えた方が判りやすくなると思うので、列記してみる。

  ※ 核家族を生んだ土壌は欧米の真似にあるのだが、核家族の家庭では何がいけないのか?何処に問
    題点があるのか?これらを解決する策はあるか?を考えてみたい。
v 考えられる理由は沢山あるので、その理由を述べ、そのことが原因で引き起こした弊害をお話しする。そうすれば、自ずと今後の解決策は見えてくるはずだ。

1:舅・姑と同居しなくなった。 舅・姑と同居しなくなったため、子育てに関して無知で経験のない夫婦にその知恵を授けることが出来なくなった。特別な痛みを訴えない子供でも、少しの熱(40°近い熱でも)があれば、直ぐに救急車を呼ぶ(風疹や痲疹、おたふく風邪など、子供が大人になる過程では必ず一度は経験し、通らねばならぬ病気も無知故に対処を知らないし、子供はしょっちゅう熱を出す)。

付け加えれば、今のような科学万能主義社会の基では、これらの病気が流行り始めると、何でもかんでも直ぐワクチンに頼ることが、一般的な常識になっていることも弊害の一つだ。 ワクチンの二度摂取を忘れた子供達が痲疹に感染し、数年前に数校の大学が休校に追い込まれる騒ぎにもなった。(大人になって、痲疹に感染する方がもっと恐ろしい結果を招く事が多い)

爺・婆がいれば、必ずこう言うはずだ「感染している子供のところに孫を連れて行き、早く移して貰ってこい」と。しかし、今このようなことを言おうものなら、今の嫁はこう言うのだろう「私達の子供に何かがあったらどうしてくれるんですか」。ワクチンが出来るまでは、この世の大人は全てこれらの病気に感染して、克服してきている。天然痘(既に撲滅しているらしい)のように死亡率が異常に高い病でなければ、過剰な予防(まだ歴史の浅いワクチン接種)は無意味だし、反って予想外の障害を起こすこともある。

2:料理に関して、様々な食材の効用と調理法を教わる機会をなくした。
このことで、今の主婦(嫁)の多くは、はっきり言って無知で馬鹿になっているのだが、己はそのことに気付いていないから始末が悪い。魚が捌けない、野菜の灰汁抜きを知らない、黒豆を煮るときは鉄釘を入れる、など沢山ある調理の基本や極意を全く知らないから、当然“(本来の)料理が出来ない主婦(嫁)”がとても多くなっている。
だから、商人は下調理済みの食材や調理済みの食物を店頭で販売する。親が知らないので、家で調理を見ている子供達(孫)には、婆が何十年も掛けて自分が姑から学んだ生活の知恵はもう伝わらない。その上、みのもんた氏がテレビで“如何にこの食材が体に良いか”を伝えると、その食材があっという間に店頭から姿を消す。
毎日のように、この番組をやっているのだから、全ての食材は少しずつ体に良いものを含んでいることに気付かなければならないのだが、これを毎日繰り返す主婦(嫁)は、やはり無知で馬鹿だと言って差し支えあるまい。

また、以前にも少し触れたが、人が“食べる”という本質は、“命を永らえるため”だから、美味しいことは有難いけれども、美味しくなければならないことになってはいけない。しかし、最近のテレビ番組を見ていると、食材(素材)そのものが高級で美味しいものを賞賛する傾向(映像)が多く、目に余る。
本来料理とは、どんな食材(素材)でも如何に美味しく作り上げるか、が腕であるはずだし、本気で体のことを考えているなら、旬のものを含めて様々な食材を調和よく食べることだ。腕を磨くことを忘れ、“手抜き”料理をしていることの自覚がない今の主婦(嫁)に「自由や平等」を口にする資格はない。「自由と平等は」己の責務を果たした者のみに与えられるものでなければならない。

3:3LDK主体の住宅(マンションを含め)にも大きな問題が潜んでいる。

核家族(政策?)のお陰で、住宅が小さくなり、最悪は欧米の真似をして、子供室という“扉付きの個室”を与えたことだ。

生まれた子供を溺愛し、「体罰」を与えず「躾」せず「我慢」もさせず、何でも「買い与え」で育ててきて、その上思春期前に“扉付きの個室”を与える。

こんな育て方をするので、子供の心には前回お伝えした「枠」の欠片も生じるわけがない。子供は思考が幼稚で、一般社会の複雑な仕組みに対しては、とても無知である。しかし、それ故に心の中で空想や妄想は果てしなく広がるものなのだ。それが子供というものなのに、そのようなものを無制限、無秩序に大きく育てさせる環境(扉付き個室)を与えてどうする。

家庭の経済状況の仕組みを伝え(教え)ない、夫婦喧嘩を見せない、その声も聞かせない、子供を叩かないから痛みも解らないでは、人間も社会的な動物であることを何処で学ばせればいいというのか。その結果、引きこもり、万引き、援助交際(少女売春)、いじめ、など多くの可哀想な子供達をこの世に出してしまった。

昔に比べて、その数の多いこと!大問題である。以前お伝えしたように、日本文化である「障子・襖」を古くさいといって馬鹿にしたツケが今、廻ってきている。

4:束縛されなくなった主婦(嫁)の実態。

家電製品が家に満たされ、家事の殆どは家電製品がやってくれる毎日になって、舅・姑の監視の目がなくなった主婦(嫁)は“手抜き”の生活が普通の感覚となってしまった。

家電製品のお陰で家事が楽になれば、本筋では余剰の時間を家事の質を上げることに使わなければならないと思うのだが、そうはならなった。余った時間を何に使っているかと言えば、一時期は“昼メロ”と呼ばれた連続テレビを見たり、主婦同士で女性週刊誌の“芸能関係”記事を我がことか身内のような感覚で話しあう時間に費やされ、最近では、昼間亭主が働いているにもかかわらず、スポーツジムや文化教室通い、グルメ食堂食べ歩き活動に精を出してござる。

そして家に帰れば“手抜き料理”を作っている。亭主には無理難題やつまらないこと(所得が低い・出世が遅い・家事を手伝わない・一緒に買い物に行かないなど言いたい放題)を押し付け、主婦(嫁)(女)の権利や思惑は最大限暴力のごとき主張する。亭主も幼児期より甘やかされて育てられているから、男としての威厳が持てない、自信がない、日本語がまともに話せない(言葉を知らない)から説得(説き伏せ)が出来ないでは、どっちもどっちか。
子供と女の教育を「自由と平等」の名の下に止めた結果はこの呈を表す。


 何故昔が良かったのかと言えば、次のようなことではないかと思っている。

前回も述べたように「女」は理性より本能が勝る生物だし、子供の時とは妄想を無限に広げてしまう時期だが、昔は厳しい教育のお陰で何とか大きく「道」を外さずに大人になれた。これは大昔から日本において、皆が同じ道を辿ってきた。だからこそ「家」の中では様々困難を切り抜け、人生経験豊富な人生の先駆者である舅や姑が「嫁」(本能が優先する「女」)や未成熟な孫をよく監視し、教育していたということだ。

姑にしてみても、いくら年を取ったからとはいえ「女」であることには変わりがないのに、同じ「女」が同じく「女」である「嫁」を厳しく躾けなければならなかったということはどういう事かといえば、長い人生を送り(生活して)、振り返ってみて、やっと「女」という生き物が理解が出来き、「本能が優先する生き物である」ことに気付いていたからに他ならない。

自分(姑)も「家」に嫁に来たときは今の「嫁」と同じ状態であったはずなのだから、同じ「女」の立場として“「嫁」への躾けや厳しさは意味のないこと”だと感じていたなら、自分が昔に受けた教育や躾など「嫁」にするわけがない。

やはり「女」と「子供」には厳しく躾と教育をしなければダメになる生き物だと、自分自身が生活してきた数十年の人生を通じて納得した事であろうと思って間違いはないと思う。

両親との非同居を結婚の条件にする嫁が多い今の世、欧米の「自由と平等」を真似て、女の本能のままにやらせている日本は必ず崩壊する。  

 日本に追随した儒教の国「韓国」も同じ道を歩んでいるし、いずれ中国も同じ目に遭う。

                                      続く