Vol.13

 「〜その13〜」

 前回「生理休暇」のことについて触れたが、これは「労働基準法」の中に規定されている項目である。諄いようだが、法の主旨は決して悪くはない!しかし、この法を「当然の権利」として捉えて自分に甘くなることを戒めたいだけである。

人生とは損得だけでやるものではないと思うのだが、女は目先の現実的な思考に流される傾向が強く、中々この辺りのことが理解してもらえない。

 さて、続いて最悪の部分について触れたい。それは「労働基準法」にある最低賃金の保証である。この最低賃金の保証についての概要は次のようなことになっている。

「業種を問わず、労働に対する最低の賃金を保証しろ」であり、最低の賃金については算定基準を設け、労働とは、指揮監督下にある労働を言い、報酬とは労務に対する対価であると定義している。

一見良くできた法律のように見えるが、これは大きな錯覚をさせている法律でもあると考えている。それは、わざわざ用語の定義までしている「労働」「労務」と、「業種を問わず」に妙な錯覚を起こさせる大きな問題があるからだ。
欧米人の言う「平等」の観点からこのような法律が出来たことは明白であるが、お陰様で、この世から「丁稚(でっち)」が居なくなってしまった。

 若い方は知らないだろうが、私たち団塊の世代が子供の頃に流行ったテレビ番組に「番頭はんと丁稚どん」(故人となった芦屋雁ノ助、芦屋小雁の主演)という喜劇に近いものがあった。

この番組は、大阪商人の店を舞台に繰り広げられる、悲喜交々の生活を滑稽にまとめた内容なのだが、今のように「労働基準法」がなくとも、良き人間関係を構築して働き、生活していた日本人の姿を写していた。

内容は、学問のない十代の子供が、大店に丁稚奉公に行き、日々の生活の中で失敗を重ねながら、番頭さんや店の主人から、時には優しく労られ、時には厳しく怒られ、躾けられて、一人前の商人になるためのイロハを教わりながら成長してゆく(しかしこの番組は喜劇だから、この丁稚はいつまでも成長しない)ものであった。

 同じように当時、俗に職人と呼ばれている職業である大工や左官は、必ずと言って良いほど十代の「見習い(丁稚)」を連れていた。この人達は「見習い職人」と言われ、手元(手伝い)をしながら、一人前になるまでは、親方(社長や上司)から仕事に対する姿勢や心構えを教わり、技術をたたき込まれたものである。

当然まだ一人前の職人としての腕を持っていないので、給金は驚くほど安く、待遇も悪かったし、一人前になるには、大工では最低でも十五年、左官でも十年かかると言われたものだが、当時の若い人は本当によく辛抱していた。

しかし、これが本当の「平等」であって、まだ仕事が出来ない者は仕事が出来るようになるまでは半人前の扱いをされ、辛抱して多くを教わり、身につけ、ちゃんと仕事が出来るようになって、初めて一人前の給金が頂けるようになる世界こそが、誰からも異論が出ない、調和の取れたものだといえる。

これを「労働基準法」が否定しているのだから、社会は乱れて当然である。

 今からおよそ二十年程前であろうか、次のようなことをよく聞いたもので、「若い者が仕事を覚えない」「怒ると直ぐ辞める」「言葉遣いがなっていない」「礼儀を知らない」「電話の受け答えが出来ない」「忙しい時でも自分だけさっさと帰る」「定時がきたら直ぐに帰る」などである。

極めつけはこれで、ある中手の建設会社管理職の方の話であるが、大卒採用者を会社の研修施設で研修を行っている時のこと、研修三日目に研修中の社員の一人が行方不明になり、付近をいくら探しても見つからないので、当事者達は事故か誘拐か?と大騒ぎとなって、警察に捜索願を出そうと、恐縮して親御さんに連絡をとったところ、「子供は家に帰っています。会社は辞めさせます」と言ったというのだ。親がこれなら子も子である。子を見れば親が判ると言うが、信じ難い話である。

実は二十年ほど前のことであるが、当社でも同じ様なことがあった。一人は、リクルート社に依頼を掛けて募集し、面接をした後に採用した者(二十代半ばの男)だったが、初出社の日のことである。

昼食時間が過ぎても帰ってこないので、この辺りはまだ不案内だろうから迷子にでもなったのでは・・・と心配して付近を探したが見つからず、交番にも出向き、事故などなかったかを聞いてみたが、該当がないと言うので、取り敢えず安心したけれども、とても困ってしまった。

住まいに電話しても出ず、結局一週間経って何も連絡がないので(警察からも)、とどのつまり、半日仕事をしてみたが、面白くなくて辞めたんだろう・・・との結論に達したのだが、馬鹿にした話である。

募集に掛けた費用は数十万円、その上、社会保険の手続きに、印鑑の購入、預金口座の開設と随分手間と費用を掛けているのに、たった半日来ただけで、それも「辞める」の一言も言わずに突然行方不明だ。

本人のためにと作った印鑑も預金通帳も役に立たず、本人が持参してきたスリッパだけが会社に残っていた。突然の失踪から小一ヶ月が経ったろうか、私は履歴書にある実家の親御さんに手紙を書いた。

本人が失踪した経緯を説明した文と、こちらで作成した印鑑・通帳と本人のスリッパをも一緒に届けたが、いつまで経っても返事はなく、「迷惑を掛けた」との一言の連絡もなかった。

非常識極まりない、正に絵に描いたような馬鹿親に馬鹿息子であった。

 また、別な者(一年近く勤務していた三十過ぎの男)では突然無断欠勤が始まったので、心配して何度も家に電話を掛けたが留守番電話になっていて出ないので、三日経ってから他の社員を家に向かわせたところ、家にいるではないか。

何故電話に出ないか?留守番電話に伝言を残しておいたにも関わらず何故連絡をしないのか?を問うたところ「個人のプライバシーだ!」と言うのだ。 

余りにも自分勝手な言い分に呆れてしまい、話し合いの後、数ヶ月後に辞めて貰った。

 もう一つお話しすると、縁故で採用した者(まだ見習いの二十歳代前半の女)は入社当時から両手の指に七つもの指輪をして仕事をしていたので、窘めた。当時は今と違い図面を描くのにドラフターを使用していたので、機械を扱うのに、これだけの数の指輪をしていては仕事になるまいと思い次のように注意した。

「ドラフターを使うときカチカチと音がしているので、仕事をするときは指輪を外しなさい」そうすると返事は「別に仕事の邪魔にはなっていませんから」である。少々呆れたが、暫く様子を見ていた。

しかし、何日経っても指輪を外そうとせず、相変わらずカチカチと音を立てながら仕事をしているので、もう一度「仕事をする時にそれだけの数の指輪は必要なかろう」と言ったのだが、言うことを聞かない。

いつまでも言うことを聞かず、その上この女は教えても教えても仕事上の間違いが多く、他の者も困っていたので、ある時、物差しで仕事中の指を叩いてやったら「私は親にも叩かれたことがないのに・・・」と言ったので、すかさず私は「だからお前のような、しようもない者になったんだ、親の代わりに叩いてやったのだ、感謝しろ」と言ってやった。

結局長くは続かない子だったが、このような者を雇い、仕事を教え、人としての教育する側は堪ったものではないけれども、しかし諦めずに、その後も同じ様な出来の悪い子を何人も雇って教育したが、まともに育った子がいなかったのは残念であった。

 つまらない話になってしまったが、高校であろうが大学であろうが、学校を卒業したての子供は明らかに仕事が出来ない半人前(前述した丁稚)である。半人前の者には半人前の待遇でなければならないのに、「労働基準法」は一人前の給与を払えといっている。

仕事が出来なくても一人前の「給与が貰え」「食べて」「酒が飲めて」「遊ぶこと」が出来、その上「賞与」まで貰えるのだから、今時の若者である、仕事を覚える意欲が薄くなって当然だろう。

半人前の者に一人前の所得を与えることが「平等」とは一体何なんだろう?。ダメな若者の育成に法律が一役買っている、これでは日本の社会が悪い方向に行って不思議ではない。

若い大事な時に人を一旦甘やかせてしまうと、育つ者も育たなくなる。

                                     続きは後日