Vol.08

 「〜その8〜」

 何だかよく判らないうちに建築設計事務所勤務を始めることとなるのだが、兎に角、その動機が純粋ではなかったことだけには自信がある。

何せ、建設会社に勤務していた時に、鼻持ちならない上司が、設計事務所の若造に諂うような姿勢をする姿を見たことから始まり、他の方のように建築が大好きで大学までゆき、設計に憧れ、恋い焦がれて建築士となり、設計事務所を始めたわけでないのだ。

「若さ!とは馬鹿さだ!」は私の口癖だが、本当にこの言葉を地で行っていた若いころだった。

 さあ、建築設計事務所に初出勤する日がやって来たが、当時私は両親と一緒に山口県に住んでいたから、広島市内まで国鉄(今のJR)の電車で約一時間半、それからバスか路面電車を使って紙屋町まで行かねばならなかったので、片道約二時間の通勤時間を要した。

ここは、午前九時から始業であるが、国鉄の時間表を調べてみると、頃合いに着く時間帯の電車がないのだ、それで少し早目の電車に乗らねばならなかったから、いつも起床は午前六時前になった。

次の電車に乗りたいのだが、そうすると約10分の遅刻となるので、国鉄の時間表を見て、恨めしく思ったものだ。

そういうことで、今後、事務所には私が朝一番乗りとなるのだが、初出勤の日、私はまだ事務所のカギを貰っていなかったので、誰かが来るまで入口で待つ破目になったしまった。

待つこと30分余り、四〇代前半と思われる一番年配の所員が出勤して来た。「お早うございます」と挨拶をし、続けて「あの〜」と言いかけると「あっそうか、まだ鍵がないんだ!」と言いながら鍵を開けてくれた。

 事務所に入ると、今日から私が仕事をする予定の製図板を指さして「そこが、君の机だ」と言われたので「はい、有り難うございます」と返事をし、製図板に着いた。

「さて、何を…」と思っていると、この所員はさっさとお湯を沸かし始め、所内にある灰皿の吸殻を集め始めたので、直ぐに「手伝います。他に何か?」と聞くと、灰皿を洗ってくれと言うので、五つばかりある灰皿を洗って、それぞれを元に戻した。

朝の準備を終えたこの所員は新聞を読み始めたが、私は何らかの指示があるかもしれないと思い、緊張したままで机に着き少し待っていると、他の所員や所長が出勤して来た。

 所長の「みんなちょっと…」の言葉の後で、私は改めて皆に紹介され、挨拶が終わったところで所長が仕事の配分をしてくれた。

何か取っ掛りの仕事があったようで、その手伝いをするように言われたのだが、心は不安でいっぱいだった…と言うのも、初めて面接?らしきことで、この事務所を訪ねて来た時のことを思い出していた……。

 その時のことを正直にお話しすると、この事務所訪ね、初めて事務所に入った時のこと、所員達は製図板に向い図面を書いていたのだが、所長の話を聞きながら、横目に製図板の上に張ってある描きかけの図面が目に入ってきた。

その図面は今まで見たこともない図面で、「どうしよう!こんなの出来ん!えらいことになった」と思った途端に、一瞬目の前が真っ暗になり、話を続けている所長の声は全く聞こえなくなった。

のどは渇き、心の中はもうここから逃げだしたい一心で、「いや!やっぱり止めます」と思わず口から出そうになり、それを言葉にしようと思った瞬間に別な思考が頭に湧いてきた。

「初めてみる図面で、今はとても描けないだろうが、大学でもこのような図面は見たことがないから、この人達だってすぐに描けたわけだはあるまい、俺が今まで怠けていたいた結果がこれなのだ、今の俺は赤ん坊のようなものだ、生まれてすぐに話すことが出来る者はいないし、歩ける者もいない。今から学べばいい、ここで逃げたら先は無い!」と思い直すと、いつの間にかこの場を逃れたい気持ちはなくなっていったが、胃には痛みを感じていたので、きっと顔は引きつり、青ざめていたに違いない。

そんな経緯があったので、強情で素直ではなかった性分の私が、今までを反省し、しおらしくなり、この後、仕事を通じて様々なことを学んで行くのである…ちょうど23歳、青春の終りの頃。

 実はこの時、私は既に2級建築士の資格は持っていたので、所長にそのことを伝えたら「二級ねえ〜二級を持っててもね〜」と鼻で笑われてしまったけれども、私は、まあ二級とはそんなものなのか…と思いつつ、2級建築士の資格を取った時のことを思い出していた。
 
                                    次回は2級建築士取得の経過をお話しします。