Vol.11
「〜その11〜」
ここで、恥ずかしい話をまた一つしてみます。
二級建築士の製図試験によく要求される図面の一つである矩計図には、建物物各部分の下地と仕上げの記入を要求されるのだが、実は木造建築物の外壁では一般的な仕上げに「ラスモルタル塗り刷毛引き、リシン吹き付け仕上げ」がある。
その中の「刷毛引き(はけびき)」を私は「すりけびき」と読んでいた。この「刷毛(はけ)」の文字を始めて見たのが、二級建築士製図試験の過去問題集の模範解答の矩計図の中だが、正直言って、製図の試験用に覚えた文言だから、その文字が持つ正式な呼び名と仕事の内容は解らなかったけれども、試験には合格した。まあ、国家試験とはこの様なものだと思っている。
そして、私はこの「刷毛引き」をこの後、ある時までの数年間「すりけびき」と読み続けていた(あ〜恥ずかしい)。
さて、設計事務所に勤務を始めた私の毎日は地獄のような日々ではあったが、私の元来の性分に、自分ができないことは、それが出来るようになるまで執念のように取り組む部分があることが幸いした。
好きではないのに始めた建築だから、この頃はまだ「早く一級建築士の資格をとって、建築から足を洗おう・・・」が脳裏にあったけれども、それ以上に「同じような年頃の所員が簡単に描いている図面が自分には描けない」ことが悔しくもあり、癪に障った。
兎に角「負けん気が人一倍強くて、え−恰好しいで、自尊心は高く、正義感は人の何倍も持っている」ものだから、自分の心が「良し」と納得しなければ、物を提示されようが、金を積まれようが、地位で釣られようが、体はぴくりとも反応しない。
こんなややこしい心を動かしたのが「クソ−、俺も絶対描けるようになってみせる!」の想いが働いたからで、特別な想い(建築家になりたい)や情熱(自分で設計事務所開設したい)があって取り組んだわけではないから、まあ単純な馬鹿と言えばその通りタダの馬鹿だ。
最初の頃は一棟の建物を完成させるために描かなければならない数十種類もある建築図面の中から割と簡単な図面を書くように指示され、先輩所員が今まで描いた図面を見せてもらいながら教わり、コツコツと見よう見まねで書いては覚え、書いては学び、図面の真髄(これは色々とある)を盗む努力を重ねた。
それと同時に一級建築士試験の勉強が重なっていたものだから、慢性肝炎を患っていた私にとっては、まあ〜大変であったことには間違いないが、還暦前の人生を振り返ってみて、一番勉強した時期は、やはりこの時だったように思う。
朝は六時前に起床して、国鉄の電車に乗り約二時間の通勤が始まり、誰よりも早く事務所に着き、お湯を沸かして、灰皿の掃除に、皆の机や応接セットの拭き掃除を済ませてから図面を描き始めたものだが、「災い転じて福となす」の諺通りで、患っていた慢性肝炎がこの時ある意味で私を助けた。それはこの病気のために、若い頃の私は酒を飲まなかった・・・と言うより、飲めなかった。
そのお陰で、試験の勉強を邪魔するものはただ一つ「自分がいつ起こすかもしれない怠け心」だけだったが、しかし、車を捨て、テレビも無くしていたから、まるで鳥の風切り羽を切り、頭に紙袋を被せたような状況だった。
その為に、この頃の政治や社会情勢に加え、流行の歌など含めた芸能スポーツ関係に至るまで、当時の数年間は全くこれらの知識と記憶がないので、テレビで時々放映している「懐かしの昭和○○年代の歌」に空白の部分がある。
仕事が終わるのは定時が午後六時半だったので、定時で帰っても家に着いたら九時を過ぎているし、仕事が忙しくて遅くなるときは最終電車に間に合うように仕事を終えていたが、家に帰れば11時を過ぎた頃だった。
しかし私は往復で毎日約四時間の勉強が出来るこの通勤時間を利用して難解な建築基準法に挑んだ。条文を読んで、一つ一つ何が書いてあるのかその意味を考え、解らなければ解説書と照らし合わせた。
学科の試験を受験するまで、七〇〇頁ある建築基準法(当時)を三回読み返したけれども、それでもまだ解らない部分は沢山あったが、試験を受けるには十分な知識だったような気がしていた。
ここで、私が考えた国家試験対策勉強法の一つをご紹介したい。勿論私はこれを実践したし、やり抜いた。そして今でも、やはりこれは良い方法だったと思っているから、今後何らかの参考ししていただければ嬉しい。
それは次の「如何なる理由があろうとも、どのような事態が起ころうとも、必ず一日一頁の試験問題集を解き、その内容を覚える」を実践することだ。
「出来ない時と思えども、したくないと思えども、一日一頁なら何とかやれるだろう」の気持ちを具象化した勉強方法である。そうすれば一頁に約二問の問題と解答に解説が載せてあるから、一年続ければ700以上の問題に触れることができる。問題は、五枝択一形式をとっているので、一年で3500の内容が理解できることになる。
休日などは十数頁やれるので、まともに実践すれば一年で1000問以上がこなせることになる。これで合格しなければ試験の問題を出す側が悪いか、自分が試験には向いていないかのどちらかである。
また、実際に問題集と取り組んでみていたら、法規以外の学科の問題の中にも建築基準法に絡んだ設問が少なからず出てくるので、兎に角、何が何でも建築基準法だ!と思ったこともあって、学科試験の勉強の殆どは建築基準法に費やされた。
でも、正直なところを言うと、この難解な建築基準法のお陰で、自国語である国語の不勉強さと至らなさを知ったし、人間が少し悪くなれた。何でも真っ正直で直球勝負しかできなかった私の心に「ひねくれ者」の心の種が植わった。
そういう意味では「くたばれ建築基準法」ではなく、私にとっては「感謝の建築基準法」なのかも知れないが、でもあの難解さは、やはり「これを許してはならない!」。国民皆が迷惑している。
続きは後日