Vol.12
「〜その12〜」
大学を卒業して三年目、二四才の初夏、一級建築士試験の受験資格である「大学を卒業して二年以上の実務経験」を満たした私は、一級建築士試験の準備と考え、前年受験した二級建築士試験のことを思い出しながら、昨年と同じように学科の試験を受けるため一人で山口市に向かった。
勤務地は広島だったけれども、住民票が山口県にあったので、学科試験は山口県で行われる試験会場になっていた。
・・・・・・ご存じない方のために余分な知識を一つ「二級建築士は都道府県知事の管轄だが、一級建築士は建設大臣(現国土交通省)の管轄である」・・・・・・
この時のことをお話したいのだけれど、正直言って、あれほど勉強したにも関わらず、不思議なことに、学科試験を受けた時のことが思い出せないので、残念ながら詳細をお伝えすることが出来ません。
勤務先の設計事務所には五名の先輩所員がいたので紹介すると、事務所の中では最年少だが、私より一つ年下で工業高校を卒業し、二級建築士を取得している文学青年がいた(頭をアフロヘアーにし、口髭をたくわえた顔つきや雰囲気はボクシングの世界チャンピオンだった具志堅用高にとてもよく似た人物で、休息時間はいつも本を読んでいた)。
また広島工業大学卒の先輩が二人いて、その内の一人は二つ年上で、構造計算を専門にしている無級建築士だった。他の人は一つ年上で、大学を卒業後住宅メーカーD社に勤務していたが、そこを二年足らずで辞めてこの設計事務所に来たという、昨年取ったばかりのホヤホヤ一級建築士だった。
その彼がD社を辞めた理由を話してくれたことがあったが、それは何と!「現場施工管理の仕事に就いていたが、工事の内容を見ていて心が痛み、とても仕事を続けることができなくなった」と人間の良心の叫びに近いことを言い、その内容を詳しく話してくれたことがある
余計なことかもしれませんが、皆様も「住宅販売会社やメーカーにはご注意あれ!」ですよ。まあ、人質商売をやり、詐欺に近い内容の工事をする住宅販売会社やメーカとマンション供給業者のことはいずれ詳しくお伝えする予定にしていますので、楽しみにしていて下さい。
そして、口髭を生やし、年の頃は三〇代前半で、とても設計能力に長けた方と、一級建築士をもった最年長の四〇代前半の所長代理に近い責任者がいた。
ここの事務所にはまだ一級建築士の資格を持たない所員が私を含めて四名いたことになり、当然のことだが、この全員が一級建築士の学科試験を受けていた。
私は、やはりダメだったのだろうか・・・と半ば諦めかけていた頃、事務所に山口県建築士会から「川田さんですか?おめでとうございます一級建築士の学科試験合格しています」の電話が掛かってきて、とても喜んだものの、結果として学科試験の合格通知をもらったのは私だけだった。
一級建築士を持っている所員は元より、同じく学科を受験した他の所員も喜んでくれ、とても嬉しかったのだが、所内で最も建築に関する知識が薄く、設計能力のない私が合格したことに、とても不思議な違和感と国家試験に対して少しの不信感をここでも感じた。
次は最も難関と言われている、二ヶ月後に行われる製図の試験を受けなければならないので、事務所の先輩は自分の製図試験体験談を含めた色々な話や諸注意をしてくれるのだが、何となく要領を得ず、何をしたらよいのかよく判らない。
と言うのも、二級建築士と一級建築士とでは学科の試験もさることながら、製図の試験は格段に難しさが違う。小学校の算数と大学の微積分の違いくらいの差だと思って良いくらいだ。
そうして、合格した嬉しさとは裏腹に、製図の試験に落っこちたらカッコ悪いけど、どうしよう・・・と、もやもやした気持ちを持ちながらの二・三日が経ったある日のこと、ここの設計事務所を紹介して貰った大学の先生(設計製図の常任講師)から電話が掛かってきた。
「川田!学科に合格したらしいの〜、新聞で見た。製図の試験は一人でやっても通らん!土日だけだが大学で学科に合格した卒業生を集めて講習をやってるから来い!」とのことだったので、この事務所、土曜日は午後三時までの業務形態を取っていた為、早速所長にそのことを話すと、まあ快く了解してくれた。
そして、土曜日となり、久しぶりに母校へ向かった。大学を卒業して三年足らずだが、以前より施設が増えて様子が少し変わっているな・・・と感じながら先生の研究室を訪ねると、既に数名の製図受験予定者が来ていた。
製図教室を使った講習だったので、なんだか少し当時を思い出し、懐かしく感じがしたけれども、心の中では「こんな甘ったるい世界には二度と戻りたくない」と思っていた。
そしていよいよ講習が始まり、先生の作成した予想問題用紙が配られたが・・・。
続きは後日