Vol.16
「〜その16(完結編)〜」
合格した知らせを受けた途端に、今まで覚えていた試験問題や受験の注意事項などが一瞬のうちに頭から消え去り、もう一度試験を受ければ絶対に合格しないだろうと思えるくらいだった。
兎に角「これでもう下らない試験勉強をしなくて済む」と思えることが、何より心の解放になったことを、今でもはっきりと覚えている。
と言うのも、学科の試験問題集を勉強していて出くわした過去問題の中に次のような設問があった。
それは「合成樹脂塗料(ペンキのこと)の重量は1平方センチメートル当たり何グラムか?」と「合成樹脂塗料の厚みは何ミクロンなのか?」という問題だったのだが、私はこの問題を初めて見たときに、何と下らない問題なのだろう思い、出題する側(建設省?)の常識を疑った。
一級建築士は学者の資格ではなく、建築物の設計とその監理及び建築実務の資格だと思っていたのだが、この問題には正直言って驚かされた。
この様な知識がなければ建物の設計や監理が出来ないかと言われれば、当然「否」であり、この様な知識がいずれ何かの役に立つかも知れないと思ってみたけれど、やはりこれも「否」であろう。
実は学科試験の過去に出題された試験問題集には、このような「下らないと思える問題」が幾つもあり、いくら受験者をふるい落とすためとは言え、酷いことをさせるものだと思ったので、
なにより早く一級建築士の試験に合格して、このような変な勉強をしなくてはならない受験から解放されたい思いが強かった。
しかし、同じ事務所内には一級建築士の受験資格を持ち、資格取得を目指して毎年受験している先輩が私以外にまだ三人いた。
今年、同じように全員が受験したけれども、合格したのは私だけだ。その私は、事務所の中では一番に仕事(構造計算と図面作成)が出来ないし、建築に関してあらゆる知識も不足している。
これはやはり、どこかがおかしいと思った。建築に関して十分な知識があり、設計と構造計算が出来る能力を持つ者が不合格となってしまい、全てにおいてまだ未熟な私のような者が合格する試験はある意味問題ではなかろうか・・・。
そんなことを考えている内に、私は、結局のところ国家試験とは「素質見極め試験」であるという結論に達した。
その資格に対して現在実力があるか無いかを問題にする試験ではなく、資格試験の勉強をして合格する能力があれば、資格を与えるので、資格取得後は自分で経験を積み、研鑽を重ねて力を付けなさい、ということなのだと思わざるを得なかったからだ。
それなら、如何に建築基準法を知り、建築実務に関して実力があろうとも、試験用の勉強をしなければ合格しないということになるので、私だけが合格したことの理由も分かるし、心に生じた疑問点の解決もつく。
しかし同時に国家資格を取得すると言うことは、この資格でもって「金を稼ごう」が「社会の役に立てよう」が、それは自分の好きにしろ!だが、その資格に関わる全ての責任は「国に代わって有資格者のお前が責任を取れ!」ということになることも自然に理解が出来た。
ということは「国家資格を取得したからといって、素直に喜んでばかりもいられない」ものなのだとつくづく思ったものだ。
と言ったように、私は何かにつけて、心に生じてくる疑問を解決しないと身体が動いてくれないので、結構難しい部分を持った「ひねくれ者」であることに間違いない。
その翌日に、大学の先生から電話が掛かってきて「川田、新聞を見たら名前があったぞ、合格してたの〜、お前が合格できたのは儂のお陰だからな」と恩着せがましく言われたけれども、正にその通りで、僅かな期間ではあったが、大学でこの先生の講習を受けていなければ、とても合格できなかったであろう・・・と思うと、多くの人の助けを借りたり、お世話にならなければこの世の物事というものは成らないものだと、大学卒業時のことを思い出しながら、若い私に又一つ教訓が生まれた。
そして「今年合格した卒業生を集めて合格祝いパーティをやるから来い!」と言われたので、良い機会だと思い、後日開催されたパーティに出席して、みんなで喜びを分かち合った。
国家資格の話はこれで終わりにしますが、次回からは、引き続いて建築士資格取得専門学校の講師をしていた時の話をします。