Vol.03
※鶏肋会と鶏肋鍋
今日は皆さんに耳寄りの・・・いや、口よりのお話をしたいと思います。
以前にも「鶏肋」という言葉が何度か出てきたと思いますが、今日はなぜ鶏肋の言葉から鶏肋会なる会が出来たのか・・・と鶏肋鍋の調理方法をお伝えしたい。
私が大学で教鞭を執っていた平成十三年の秋頃。ちょうど“観音の家”が竣工した。自画自賛してはならないが、とても美しい建物が出来たので、講義中に100名の学生達にこう伝えた。「とても良い建物ができました。建築主と施工業者の好意で三日間だけ建物を見学できるようにお願いしてあるから、見に行くように、建築家が作った建物の中を見学する機会はなかなかないと思うので、是非行くように・・・」
そして、土日を含む日時と現地の地図を黒板に書くと、学生達の「見に行きたい・・・」と口々に話している声が聞こえたので、少しは意欲的で前向きなところもあるのだ・・・。と感じたのだが、次の週“観音の家”を見学に行った者は?と聞くと誰一人いなかったのである。私は学生達を酷く怒った。折角、現実の建物、それも建築家が創った建物を見る機会を君達は失った。いくら大学で私や教授連中が偉そうなことを言ってみても、教室に建物を持って来て見せることは出来ないのだ。教室で偉そうな事を言っている奴が創る建物とは一体どんなものか、肌で感じる唯一の機会を棒に振ってしまった・・・お前達は何と言う馬鹿だ・・・と詰った。
その日の講義が終わり、帰り支度をしていると、数名の学生が近寄って来て、「先生、今日はとても恥かしい思いをしました。もう建物は見に行けないでしょうか?」と言うので、「私は君達の為に三日間建物を開放して頂くお願いをして、無駄に終わっている。後は直接建築主さんを訪問してお願いしてみることだ」と話しておいた。すると後日「二組の学生達が建物を見学に来た」と建築主のお母さんより連絡を頂戴した。
この“観音の家”の建築主は、三菱重工業にお勤めの課長(当時)さんで、年老いたご両親への感謝と恩返しにと新しい住まいを企画されたのだが、建物の完成を待たずしてお父様が亡くなられた。病床で工事監理報告書と工事中の写真を見て目を細めて喜び、完成を楽しみにしておられたそうであるが、お住まい頂けなかったことが、今でも残念でならない。
そのお父様は広島大学で物理学の教授の経歴をもたれた方で「湯川がいなければ俺がノーベル賞を貰っていたと思う」と話していた、とお母様より伺ったことがある。お父様が現役の頃は学生達がよく家に遊びに来ていたそうで、そんなこともあり、訪ねた学生達に快く家を見せて下さったのであろうと感謝した。又、お母様からは私の書いた“観音の家”の設計主旨“爽風”を読み、嬉しさと感謝の気持ちをお伝えしたいと涙声の電話を頂戴した。建築家として忘れられない事の一つになった。
そしてその後二組の学生が私を訪ねてきた。そのうち一組の三名が度々訪ねてくるようになった。そこで色々な話を聞かせているうちに、定期的に勉強会を開いて欲しいと言うので、火曜と金曜日の週二回、建築基準法を教えてやることにしたのだが、三名が四名、五名と増えてゆき、会の名称を鶏肋会と名付けた。そして、多い年には十数名になった。勉強が終ると茶菓子とコーヒーを飲みながら雑談をするのに、学生が数名の頃は無料にしていたが、人数が増えてくるとこちらも負担が大きくなり、又人から何かを教わるということが、無料であること自体甘えを助長する事にもなると考え、煙草銭程度の金額を徴収するようにした。
そんな中、まだ数名が来ていた頃、話が弾み少し遅くなってくると、若い子達である、腹も減ってくる。そこで私にひらめいたのが、親元を遠く離れて生活していると、学食ではカレーや焼き飯、ランチを食べても野菜はほんの気持ちほどしか入っていないので、安くて旨く、野菜がたっぷり食べれる料理を食べさせてやろう、と思いつき・・・考えたのが鶏肋鍋である。
一緒にスーパーマーケットへ買出しに行き、材料を揃え、調理してみせる。不思議な顔つきで見ていた学生達が、鍋をつついた瞬間“こりゃあうまい!”“やばい”であった。また余談になるが、この“やばい”は注意した。日本語の使い方が間違っている。“やばい”は一般の国語辞典(広辞苑には載ってる)には載っていないし、そもそも犯罪者や香具師などが“あぶない”と言う意味合いに使っていた隠語だと思っているので、「俺がこの鍋に毒でも入れたか!」と冗談混じりに嗜める。前述したように、親御さんが子供の野菜不足を心配しているのではないかと思い、考え作ってみた料理であるが、食べながらこの料理を考えついた訳について話をして聞かせた。
今を遡ること約二千年前の中国で有名な三国志の話だ。魏の曹操が蜀の劉備との戦いの中、曹操が夕食に出された料理の鶏肋のスープを飲みながら「鶏肋、鶏肋・・・」と呟く下りがあって、意味としては、たかが鶏ガラだが、ねぶれば旨いし、だからと言って捨て難い・・・。益無き戦をまだ続けるのか止めるのかの苦しい心情を表したところ。
少し話の内容を飛躍させると、“素材は大したものではないが、調理を上手にやればこんな旨いものになる”素材とはお前達だ。と話して聞かせたところ、そのうち一人が「これから定期的に会を開きたい」というので、「では月に一回開催してお前達が最も苦手な熟語や諺、論文、人の生きる道を学ぶ為に論語をやろう」ということになり、会の名称を「鶏肋会」とし、会の開催日には必ず鶏肋鍋を食べた。会は足掛け5年程続けたが、私が大学を辞める事になったのでそれを契機に平成18年夏、会を解散した。
会では誕生会や花見、忘年会、遠くは博多まで建築主さんの好意で宿泊までさせて頂いた建物見学(“博多箱崎の家”)、香の会、工事現場見学と沢山の催しを行い、鶏肋会卒業アルバムまで作成した。大学では決して学ぶことの出来ない多くを教えることが出来たことは本当に良かったと思っている。
しかし、皆にはこう言い聞かせておいた。「いいか、お前達は全員後数年の内に結婚適齢期になるが、決して俺を結婚式に呼んではならん。どうしてもと言うなら、挨拶は無し、祝い金も不要、楽しく飲んで食べて帰って下さいでよければ案内状を出せ。そうでなければ絶対呼ぶな!」ところが、今年の初め恐れていたことが現実になってしまった。最初の一人目が来たのである。それも四国高知だ。泊りがけになる。卒業生は私の教えを守ってくれない。一人に出席すれば・・・他の者にも出ない訳にはゆかなくなる・・・トホホ。この数年のうち相当の出費を覚悟せねばならなくなった・・・もちろん冗談であるが・・・。
さて、ここで鶏肋鍋の調理法をご紹介致します。鉛筆とメモをご用意下さい・・・と昔ならこうなるのだが、今はインターネット、このままが残るのです。良き生活の知恵を失ったことは残念だが、随分便利になりました。
■材料
鶏ガラ一匹で二人分と考えて購入する。
スーパーでは冷凍したものも売っている。価格は一匹80円程度)
野菜・・・大根、白菜、ネギ、春菊、キノコ類 その他・・・木綿豆腐、白滝 などなど
調味料・・・塩、コショウ
要するにすき焼きの肉が鶏ガラに、醤油と砂糖が塩と胡椒に変わるだけです。
■調理方法
鶏ガラは食べ易いように適当な大きさに切り落とす。
土手鍋に湯を沸騰させて切り落とした鶏ガラを入れて、少し煮立て、アクを取った後、
一旦鶏ガラを鍋より取り出す。
出来上がった鶏ガラのダシに野菜とその他の具を入れて煮る。
火が通ると、取り出しておいた鶏ガラを鍋に入れて暖め、塩と胡椒で好みの味付けをして食べる。
鍋を食べ終わった後、残りのスープに中華麺を入れるとラーメンが出来てこれも美味しい。
そして最後は雑炊にする。漬物か塩昆布、シソ昆布で食べると味が格段に上がる。
学生の一人が正月に田舎へ帰った時、この鍋を家で作って食べたところ好評で、近所中の評判となり、ある地域で流行ったそうである。
ここ二、三日寒さがぶり返すそうです。最後の鍋に鶏肋鍋をしてみては如何でしょう?