Vol.04

「食」

 今回は「食」についてお話したいと思います。

「食べる」ことを英語で「eat」と言いますが、「eat」には日本人の「食べる」=「いただく」という意味はありません。
日本では食事をする際に「いただきます」と声に出して、又は口にせずとも声を殺して「いただきます」と言って食べる習慣がある。

「いただきます」は「頂戴する」と同意語であるが、一体誰に対して何を頂戴すると言っているかというと、これには色々と説があるようで、“お百姓さんに対してその苦労に対する労い”“両親に感謝の意味合いとして”などが一般的だが、私は“食物連鎖の頂点に立つ人間が他の命を食する(命を頂く)事に対する感謝の気持”の説に賛同している。

獣、鳥、爬虫類、両生類、魚類、植物、昆虫に至るまで、全ての生き物を食し、命を継いでゆく人間、“他を殺さなければ生命を維持できない”という宿命を背負っている。獣や爬虫類、両生類、昆虫など別に食さずとも命を保つことは可能だが、人とは悲しい性で「食べる」=「命を継ぐ」ことではなく「食べる」とは「おいしいもの」でなくてはならないと錯覚している輩が近年とても多くなったと感じている。「おいしい」ことに越したことはないが「おいしくなければならない」訳ではないのだが・・・。又、命を継ぐことが目的ならば、腹一杯食べる必要もない。

ちょっと考えてみると「おいしいもの」「腹一杯食べる」「高級料理を食べる」などに対しての「いただきます」=「感謝の言葉」はもしかして「お金」に対して言っているのであれば、殺されて食べられている他の生命は浮かばれない。

 話がちょっと横道にそれてしまったが、日本人は「いただきます」の対象を神や仏に対してだと思っている人は少ないと思うが、欧米は「主」に対して祈りを捧げ食事を始める慣習がある。主とは全知全能の神「ゼウス」又はゼウスから使わされた「キリスト」を指す。欧米人はこのゼウスが人間の食べ物として羊と牛をこの世に与えたと言っているので、感謝の言葉や気持は「ゼウス」又は「キリスト」に対して向けられている。そしてそれ以外の獣は好んでは食べない・・・と言う理論を展開する。

 私がまだ大学生の頃、ある記事に次のようなものがあった。欧米の婦人達がパーティーで会食をしている時、「日本人はあの可愛い小鳥(雀の焼鳥)を食べるそうよ。何て野蛮なのでしょう」と言いながら、子豚の丸焼きを食っていたそうである。随分感覚的に差があるものだと感じた事がある。

 奴等は鯨を食べる日本人は野蛮だと言っているが、ペリーが日本へ黒船で突然やって来て捕鯨船への水、食料などの補給の為、大砲で脅し、日米通商条約を結ばせた経緯がある。その捕鯨目的は、ランプの油を鯨から取る事であったことは皆さんも周知の事と思っているが、100年も経てば捕鯨禁止だと、鯨は哺乳類で可愛い動物だと、同じ哺乳類の羊や牛や豚は可愛くないのかい。

アフリカの黒人を奴隷にし、他の国を植民地にして資源を根こそぎ奪っていた欧米が今や日本に対して根拠もない「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」「強制連行」又「北朝鮮の人権問題」「イラク戦争」など他国への言い掛かりにも等しいこじ付けで戦争を始める国に、世界の正義を言う資格がどこにあるのか。

英国など数十年前に中国に「阿片戦争」を仕掛けた事実は一体どうするのか。過去にやってきた悪事(?)には一切触れず、他国ばかりを責め上げ、他人のものを奪い、他人を言い負かすことが美徳であると認識している欧米人に、世界で唯一謙虚さと思いやりを持つ日本人が、こんな野蛮国に馬鹿にされていては堪らない話である。

さて、本題に入ります。

 先程述べたように、日本人は食事をする際の感謝の気持の「いただきます」は「他の命を頂く」からきている。それが顕著に現れているところは、「刺身」と「旬」を食べることであろう。韓国でも刺身は食べるが、曇った日は食べない習慣のようで、日本の食生活とは少し違う。醤油という日本独特の調味料を使って、生(なま)を食べる。生(なま)とは生(せい)であり、生命を指す。そして、旬とは「季節」を指し、その最も良い時期を言う。

 魚の料理にしても、刺身か焼き魚、煮付が一般的であり、これらは全て素材を生かす調理方法である。それぞれの魚特有の旨さを生かした食べ方をしているのだ。鮪や鰹をフライや天ぷらにしては食べない。欧米や大陸の人種は、これらをバターやオリーブオイルなどの油で焼くか、フライ又はあんかけにして食す。新鮮であろうがなかろうが、生きが良かろうが悪かろうが、素材の良し悪しには全く関与しない。

これは大きな差であって、実は建物にも全く同じ事が現象として見ることが出来る。日本の木造建築と、米国の木造建築は、造りの原点が異なる。日本では、木を素材として生かして使う。桧には桧特有の輝きと上品さ、杉の柔らかさ優しさ、栂の凛とした感じ、欅の色合いと木目の美しさ、松の力強さなど、それぞれの特性をそのまま生かして建物を創り、又それぞれの香をも建築の中で表現する。

 米国など、木材(材種)が何であろうと全てペンキを塗りたくり、食材と全く同じ扱いである。ペンキを塗ってしまっては、表面だけ見れば、木材に塗ったのか鉄なのかコンクリートなのか、触ったり、たたいてみなければ解からない。家中ペンキの臭いだらけで、木の香りは全くしない。この辺りの感覚は言語のところで話したことと通じるものがある。日本の家屋は見ただけでその造りの良さや程度を理解できるが、米国の家屋は言語と同じで、身振り手振りを加えて話すように、建物を触らなければ理解できない。

これ以外に、知識としてお伝えしておきたいことがります。欧州や中国の一部、韓国では、木造の建築物は極めて少ないのです。それには理由があって、国土の特性として、欧州では地表にまで岩(大理石)が露出しているし、韓国や中国では表土が浅く、その下は花崗岩である。それ故に巨木が育たないのだ。木が大きくなるには、根が地中深くに張らなければならないが、表土が浅くて深い根が張れないから、木は大きくなれない。だから欧州では石造の建物、中国や韓国ではレンガ造りや土造りの建物が多くなってしまう。

 国全体が石で固められているので、地震がないのは羨ましい限りだが、これは大地が死んでいると言う意味でもある。食の話がボケた内容になってしまいそうなのだが、人間の生活というものは、あらゆるものが複雑に絡み合っているので、このような表現になってしまうけれど辛抱下さい。

 日本に始めて鉄砲が伝わった時のこと、今から約400年前になろうか、ポルトガル人が伝えたという事になっている。その時の様子を記したものが、種子島の記念館に残されている。どの様な事が書いてあるかと言うと、「食するに箸を用いず、飲するに器を用いず、とても野蛮な人種である」と、この様な内容だそうだ。

 欧州の人種が手掴みで食べ物を食っていた歴史は長い。フォークを使う様になったのは、確か、高々350年前と聞いている。だから前述した記録は事実であろう。アジアでは2000年前以上前から箸を用いたし、日本でも弥生時代には箸を使っていた形跡があるという。勿論、小麦と米との主食の差に因るところもあろうと考えるが、次を読んで頂きたい。欧米の文化程度が如何なるものか、これで理解が出来なければ、理解が出来ない方が、欧米かぶれか、ただの馬鹿である。

まず、チンパンジーはナイフとフォークは使えるが、箸は扱えない。知能の低い他の動物は全てナイフ、フォークすら使えない。皆さん、思い出して下さい。幼児の頃、始めは手掴みで食べるが、次に道具として何を使って食べたか。そうです。スプーンです。それからフォーク、そして、箸を使うようになったのです。知能の低い欧米人は、未だに日本の幼児が使う、スプーン・フォークを使って食べているのです。

アジアの文化である箸は、世界に冠たる道具です。欧米人が十数本のナイフ、フォーク、スプーンを使い食事をする機能を、僅か2本の木か竹の棒(串?)を用いて、刺す、寄せる、つまむ、乗せる、分ける、かき混ぜる、よける・・・などの作業が全て可能な道具なのです。但し、扱うには技術と訓練を要します(知能の低い動物では扱えません)。唯一「液体をすくう」ことだけが出来ないのですが、汁物はお椀という器でそれを解決しています。私はパスタを食べる時も、店員に箸を要求して箸で食べる。欧米人のこれ見よがしのスプーンとフォークでは食べない。最後のあたりのパスタの切れ端や具は、とてもスプーンやフォークでは取って口に運べないが、箸だと皿の中には何も残らないほどに綺麗にする事ができる。どこでどう勘違いしているのか、ナイフやフォークを使って食する方が高級で文化的だと錯覚している人達、どう考えてもそうではない筈だ。

余談になるが、鶏肋会の大学生10数名のうち、男女一人ずつ箸の持ち方が変な子がいた。親が躾けていなかったのだ。食べる姿がとても見苦しく、ぎこちない観を呈するので、その事を言うと「別に私は困らないから・・・。」と返事をしてきたので、私はこう言って直させる事にした。「お前達が一生一人で飯を食うのなら、俺は何も言わん。だが、会社に就職して、会社の上司、同僚、取引先関係、又は、結婚したい相手の家族と食事をする様な機会が何れ来よう。その時、その箸の運びでは、何て子だろう!と思われるし、一緒に居た人に恥を掻かせることになってしまう。」そうしたら、素直に直す訓練を始め、数ヵ月後にはちゃんと箸が扱えるようになったので、安心した思い出がある。これらは明らかに親が悪い。恐らく他の部分の躾けも出来ていないのであろうと感じたが、又見つければその都度直してやれば良い・・・と思ったものだ。

最後につまらない一言を。

 宮中の晩餐会では、欧米の真似事をして、ナイフ、フォーク、スプーンを使っての食事と聞いているが、日本人として箸の文化の誇りはないのだろうか。有り得ない事だが、もし私が宮中晩餐会に招待される事があれば、箸を持参して食べると固く心に決めている。