Vol.05
「住い 〜その1〜」
私の本業に関る事柄であるが、今まで「衣」や「食」のところでは、住まい方の一部分として「靴を脱ぐ文化」や「木材の素材そのままを生かす建築工法」などを話してみたので、今回からは生活全般を含めてもっと根本的な部分に触れてみたい。
今は殆ど使う事が少なくなった「風呂敷」である。これは本来「衣」の所で述べるのが本筋であろうが、生活の道具としてここでお話しする。「風呂敷」の言葉の起源は「入浴」に関するところからきているのだが、これは一度調べてみると良いと思います。(国語辞典にあります)どのように使われていたかも書いてあり、それ故に「風呂敷」と言われるようになった事がご理解頂けると思う。
「風呂敷」は四角い一枚の布であるが、四角い一枚の布そのものが欧米や他国に無い訳ではない。何が言いたいかと言うと、この布を“どのように扱っているか?”の問題なのだ。欧米では良く似た布にスカーフがあるが、これは髪の乱れを防ぐ又は首に巻き、寒さを防ぐ。その他最近あまり見掛けなくなったが、三角に折り両肩に掛けて寒さを防ぐと言うより、むしろ高級なスカーフ(値段の高い有名ブランド)を誇示する目的に使用されている。
布を誇示する以外は、日本でも古くから“手ぬぐい”や他の布を使って同じ事をやっていたが、風呂敷はそれ以上に一段階上の使用方法と考えて頂きたいのである。日常生活で身の回りの小物を持ち歩くのは欧米では鞄、ハンドバッグの類であろうが、これと同じ様なものとして、日本では巾着や信玄袋と呼ばれる布の袋がある。
小物以外の一升瓶や西瓜の様なものを持ち歩くには風呂敷は最適な道具である。欧米人はこういう物(一升瓶は欧米には無いだろうが)を持ち歩く時、一体何を使用しているんだろう。箱や袋は見かけるが、風呂敷のような類は今まで見かけた事が無い。勿論映画やテレビ、本の中や旅行をした時にである。
欧米の真似をしている今の日本と同じなのだ。欧米では古くから箱か袋を使用する又は、裸のままで運んでいたのであろう。しかし、相手に物を渡す事について日本人は物を裸で渡すことを良しとしない。そういう意味で言うと、風呂敷はすごい道具だ。一枚の布が、あらゆる相手の形に合わせて、包み込み、運ぶことが出来る。そして用途を終えると、一枚の布は折りたたみ、小さくして洋服のポケットであろうが、着物の懐であろうが仕舞える。
鞄やハンドバッグは、見た目は格好良いが一升瓶や西瓜を入れることは出来ないし、ポケットや懐にも入らない。唯一つ、欠点があるといえば、風呂敷は包めば包んだ物と同じ形になるので何を包んでいるかの想像がつくことであろうが、これは欠点と言うべきものではないのかも知れない。
ある意味着物と洋服の違いに似ているところがあるようにも感じる。このようにすごい道具をなぜ日本人は捨ててしまったのだろう。箸と同じで世界に誇る文化なのに・・・。
一緒に風呂敷を復活させませんか?
そう言えば以前、どこかの大臣が同じような事を言っていたっけ・・・。