Vol.07
「住い 〜その3〜」
今の若い人達には記憶に無いだろうが、昭和30年代の中頃までは一般家庭に現在のような個室は見られなかった。当時は風呂の無い家も多く、銭湯全盛期の頃である。持ち家にしろ借家にしろ各室は殆ど襖か障子で仕切られていて、板戸を備えている室は風呂か便所であった。
襖と障子は、視覚は遮るが音を遮る事が出来ない。そんな家の造りで親子三代が同居して生活する大所帯が一般家庭であった。血は繋がっていても、住んでいる年代は相当に開きがあり、他人である嫁に姑、その上小姑と同居なんてのも普通の家族構成だったのだ。そんな家の中で諍が起きない訳が無い。嫁対姑、嫁対小姑の諍の終着駅は夫婦喧嘩となり、その声は家中筒抜けとなる。何度となく喧嘩の内容を聞いていると、不満の原因やそれぞれ置かれている立場や自分勝手な都合、家庭の経済状況、時には嘘をついているのは誰かまで理解が出来るようになってくるものである。
どの室に誰が寝ているかも知っているので、深夜便所に行く時は忍び足で歩かねば、“うるさい静かに歩け”と怒られるのが関の山だ。又、廊下を歩く足音や、足を運ぶ気配で誰が歩いているのか位は分かる程だった。
なぜ、この様なことを書いたかというと、一昔前まで数百年にわたって、日本の住生活では家の中でお互いが相手を気遣いながら生活をしてゆく中、身に着けていった「気配り」「思いやり」は幼少の頃よりの躾けの一つであったと感じているからである。
こんなことは理論的に「教え」ても理解は出来るが、毎日の生活の中で習慣的な訓練をしなければ、決して身につくものではない。又、子育ての過程でも、日本では小学生の高学年の頃まで親と一緒に寝る習慣が普通であったし、今でも小学3、4年生の頃までは親と一緒に寝ているのが一般的ではなかろうかと感じている。それから日本の親は何を錯覚しているか、欧米の真似をして自立心?を促す為と称して、突然子供に扉の付いた個室を与えてしまう。
よく勉強が出来る静かな環境作りをしようと、親が子供に対して気を配り、食事に関しても美味しいものばかりを食べさせる。親は子供が悪いことをしても手を出さない。子供の小賢しい嘘を信じ、騙される。子供は何でもしてもらえて当たり前だし、大人を騙すなんて簡単だと錯覚するようになってくる。
小学生の3〜4年生から、中学、高校と精神的に大人へと成長してゆく一番大事な時期を、扉を閉めたら自分の世界、誰も見ていないし聞いていない自分勝手な空間を与えてしまった。そんな状況を高度成長化の下、政府主導で核家族化を推し進め、欧米型の扉の付いた個室が文化的だと言わんばかりに、ここ数十年、住宅金融公庫の援助なるおまけまでつけて国民の持ち家を煽ってきた。
その結果、祖父母が何十年にも渡って学んだ生活の知恵や子育ての極意は子供に伝えられず、核家族の親子は初めての出来事に手探りで挑み、狼狽えるばかりである。その証拠に子供のちょっとした熱で救急車を呼び、よく考えもせず「はしか」や「お多福風邪(流行性耳下線炎)」のワクチンの処方を受けたりする。こんなもの、初潮や精通と同じで、人は必ず一度は経験して大人になる為の関所のようなものだ。科学の力で避けて通ろうなんて考える方がおかしい。自分達も通ってきた道だから子供達も同じ道を歩まさねばならない。ワクチンなんて必ず死に至る病でなければ避けた方がよい。副作用の方が怖いこともある。何て言ったって使用された歴史がまだ浅いので、今後どのような結果が出てくるとも限らない、血液製剤でエイズやC型肝炎に感染したように。
祖父母が同居していないから、嫁を教育する者が家にいない。嫁はやりたい放題で、主人を粗末に扱うわ、子供を過保護に溺愛するわで、自分の躾が出来ていないのだから、子供に躾が出来る訳もない。そして学校では「いじめ」だ「教育格差」だと親の権利のみ振り回し学校側を責める。しかし、今の学校の先生も、その親と同じ様な状況下で育てられたのだ。日本文化である「気配り」と「思いやり」を身に付ける機会を失った住宅で育った者同士が自己の都合と立場ばかりを主張していては、いつまでたっても解決の糸口は見えてこない。
本来、親子三代が一つの家で生活する事が一番良い事なのだが、家の大きさや土地の広さや仕事の状況、税金の事等を考えるとなかなか叶えられない状況の日本であるが、唯一つ、対抗手段があると私は信じている。それは子供室の個室の「扉」を「障子」に変えることだ。そうすれば光も音も漏れてくるので、子供が起きているのか寝ているのかもすぐ分かるし、何をしているかも気配で伝わってくる。子供の側からも同じ事で、遅くまで家事をする音が聞こえる事が、母に感謝する心を自然に育み、夫婦喧嘩の声も子供にとっては成長する肥やしとなる。
大学の講義の中で、設計の課題として「子供室の個室の在り方について」数年間考えさせてみた事があるが、その意味と内容は今の二十歳の子供が理解するには早すぎるし、難し過ぎたようだった。