Vol.09
「住い 〜その4〜」
以前、日本人は土足で家に入らないと書いたが、実を言うとその記述は「土間」を除いて、と註訳を付けなければならないもので、一昔前までは「土間」と言う空間が日本の家屋にあった。ここは、家の中で下駄履きの出来る唯一の空間であり、そこには「かまど」や「井戸」が設けられ、炊事などの用途に使用されるのが一般的であった。
この土間の床は「三和土(たたき)」と呼ばれ、赤土・真砂・石灰・苦汁に水を加え、表面より叩いて硬くした土のコンクリ−トと言っても良い様なもので、水にも強く、耐久性に優れ、磨耗性も高く、水仕事の多い台所を荒っぽく使用可能としたものだった。土間は勝手口と通じていて、勝手口の外の軒下には炊飯の燃料となる「薪」が積んであり、魚や土の付いた野菜は一旦この土間に運ばれて下ごしらえが行われ、料理が作られてゆくのだ。
日常の慌しい中で、少々荒っぽく調理をして周りが汚れても気にならない。何せ床は土であり、土間は家の「内」にあっても感覚的な意識は「外」なのだ。それ故に掃除も楽だし、余計な気を配らず物事が進められるという事はとても合理的で機能的であった。
今は台所に、システムキッチンと呼ばれる機能的で合理的と言われているものが必ず設置されているのだが、魚料理をする時の鱗を取る作業には十分な対応をしてくれない。台所の床一面に新聞紙を拡げて敷き、工夫しなければ、飛び散った鱗の処理は出来ない。濡れている鱗は透明なので、時間が経ち、乾いて白っぽくならなければ鱗がどこにあるのか見つける事が出来ないし、土の付いた野菜を洗うには、美しく狭い流し台は不向きだ。その上、排水管の径は小さく、長い間使用していると必ず排水管が詰まるであろう。
とは言っても、今の主婦がスーパーで買う魚には鱗もついてないし、野菜には土も付いていない。子供達は調理する母の姿を見ていて、魚に鱗がある事も知らないし、土の中で野菜が育つ事も知らないでは、幼児教育の出発点として、どこかが狂っているのではないかと思っている。これについて面白い話があって、自分の不徳を晒すようで恥かしいのだが、敢えて公開する。私は魚釣りが好きで、年に数回社内レクリエーションや友人と船釣りをしてきた。行く先は、山口県大畠の船宿「海月」さん(当ホームページ「海月」参照して下さい)にお願いして、鯛・スズキ・チヌ・ヤズなどを狙って数十年になるが、以前交際していた女(15年程前で当時二十代後半)の話で、釣りに行きメバルを釣って帰った時の事である。
釣りは朝が早く、夏場は午前四時には家を出るし、冬場でも六時には家を出発しなければならない。釣りから帰って魚を友人に届けて回り、疲れてしまい一眠りして起きた時、「お腹空いてたら魚、煮付にしてやろうか?」と言うので、少し空腹感もあり「あぁ」と返事をして待っていると、メバルの煮付が出てきた。メバルの煮付はとても美味しいので、私なりの期待感もあり、箸をつけ口に運んだ途端、吐き出してしまった。鱗がついたままだった。釣ってきた魚の下処理(内臓を出す)までは私がしておいたのだが、まさか鱗を取ることを知らないとは夢にも思わなかった。メバルの小さい鱗が口の中に入ると、口中あちこちにくっつき、なかなか取れるものではない。
思わず「お前!鱗取らなかったのか!」と怒鳴ると、「え〜鱗って取るの?今まで取ったことない」の返事である。その上、「スーパーで魚を買っても、そんなの付いてないもん」と来たもんだ。呆れて「こんなことも知らないのか・・・」と愚痴を言っていると、「だって以前付き合っていた男と大学時代に同棲していた時の話だけど、初めてご飯を炊いたとき、食べたら洗剤臭いと言って吐き出されて、何でだろう?と思ったら、お米は洗剤で洗うんじゃなかったのね」とあっけらかんとして言う。
無知と馬鹿もここまで来ると立派と言う以外に無いか・・・と、こいつの親の馬鹿さ加減にうんざりしていたのだが、この女、掃除も下手で床は掃除機をかけるが、本棚やテレビ台などについている埃はそのままで、とても室を掃除したとは思えない不満が溜まっていたある時、こいつの母親が来て私にこう言った。「うちの○○子(自分の娘の名前)はとてもよくやる娘で・・・」と手前味噌をやったものだから、思わず手に持っていた100円ライターをこの母親の尻に投げつけてしまった。母親にとっては青天の霹靂であったろうが、こんな母娘が今の世の中数え切れない程いるはずだ。
こんな女性が次の母親になり、いやもう既になっているのだ。日本も終りが近い・・・。女は女としての最低限の器量が必要であろう。女の特権ばかりを振り回し、我侭の言いたい放題ではこの世は治まらぬ。又、それを諌める事が出来ない男ばかりでは、この世はもっと治まらぬ。
もう一つ話があり、これも釣りに行った時の事であるが、いつになく大漁だったので、親元を離れて暮している学生達(鶏肋会の会員)に食べさせてやろうと思い電話を入れ「お前達魚を捌く事が出来るのなら、持って帰るが食べるか?刺身を作ったことはあるか?」と聞いたら、「はい、アルバイトでやった事があります」と言うので、ヤズを8匹、鯛を4〜5匹持って帰った。
私は離婚して以来一人暮らしで1DKの狭い賃貸マンションに住んでいるから、台所は狭いし、魚の調理は大変なことを知っている。私にとっては旨い魚も食べたいが、疲れに加え後片付けの大変さのほうが食欲より勝るので、いつもは魚を家に持って帰らない。食い気より面倒臭さが優先する性分であるが、学生達が自分達で調理し食べるのならと思い持って帰ったのだ。
夕刻になり、学生達が集ってきた。学生達は、釣ってきた魚を見て感嘆の声を上げ、調理を始めた・・・。どの程度出来るか見ていたら、突然魚の身を切り始めたので、「おい、ちょっと待て!先ず内臓を取り出せ」と言いながら、思わず考えた。こいつアルバイトで刺身を作った事があると言っていたが、まさか、調理済みの切り身をただ切っていただけではなかろうか・・・聞いてみたら、案の定やはりそうだったのだ。
瞬間目の前が真っ暗になった。これだけの魚を私が捌かなければならなくなる、こんなことなら持って帰らなければよかった・・・と思うが後の祭りだ。「魚の捌き方を教えてやるからよく見て覚えておけ!」と言い、刺身包丁が無いので、菜切り包丁で魚を捌く。私は料理は好きではない。自分で料理して食べる位なら、空腹を我慢していた方が良いと思っているし、魚の捌き方も母親や子供の頃近所の主婦が道端で魚のシゴをしているのを見ていて覚え、今まで見よう見真似でやってきた程度のことだが、自信はある。
見事に調理をこなし、刺身を造り、化粧塩をした鯛の塩焼きに、ヤズの照り焼き、塩焼き、そしてアラの吸い物を作ってやると、皆でぺろりと平らげた。吸い物の旨さは格別だったようで、その時の魚のアラを学生が持って帰ったが、散々な目に遭ったものだ。しかし、これが今の若者の実態で、何も知らない、何も出来ない。大人が作り上げた社会の恩恵だけを享受している。これが今の社会の一面であり全てでもある。広く深く至る所に蔓延していることを自覚し、対処しなければ本当に日本の未来は悲惨なことになる。
又、ある漁師から聞いた話だが、夏休みに子供連れで魚釣りに来た家族の話で、子供がハギを釣った時「この魚何て言うの?」と聞いたので「そりゃあハギだ」と言うと「いや違う、これはハギではない。ハギはこんなんじゃない」と言い、何度かやり取りをして、もしかしたらと気が付き、ハギの皮を剥いで見せると、子供は「これがハギだ」と言ったというのだ。
又、蛸の足の切り身を蛸だと思っていて、本物の姿をした蛸を蛸ではないと言う子供達。大人たちの商売根性が作り出した弊害の一つであろう。魚の調理を嫌がる女子共の為に、調理済みの魚を店頭で売る。子供達はそれを見ていて魚・貝類など本来の姿と別なものが頭の中に刷り込まれてゆく。しかし、刷り込まれていっているのは魚・貝類だけではあるまい。もっと人として知らなければならない大切な多くのものが誤って幼児期から刷り込まれているに違いない。内臓の大きいハギは傷みが早いので、皮を剥ぎ、内臓を取っておかなければ保存が出来ない事を知らないのだ。
蛸はあの“ぬめり”を取る作業は大変で、昔は塩とすり鉢で取ったものだが、本当の事を知らない子供達が大人になり、いずれ作る社会は想像しただけで恐ろしくなる。その一端は既にこんなところに見えているのだ。これも全て、嫌なことは避けて通り、いいところだけを享受して学ぼうともせず、努力して技を身に着けようともせず、工夫もしない。商人は嫌な事を引き受け、いいところを売って金にしている姿勢を全て悪いとは言わないが、それに踊らされている主婦達よ、もう少し賢くなれないものかね。
今の世の中、女が楽をする事ばかりの商品をこの世に産み出して、経済は成長してきた。洗濯機、冷蔵庫、掃除機などの家電製品から安価で提供する衣料品、そして調理済みの食品まで。結局便利になり、女は楽が出来るようになったが、女としての器量(調理、裁縫、掃除の方法や生活の知恵と工夫など)は失われた。
本題から外れてしまい、話が長くなってしまったので「続く」にします。