Vol.11

「住い 〜その5〜」

 日本建築を見て美しいと感じることの一つに瓦屋根がある。 現在は何十種類と多くの瓦が建物に使用されているが、昔は日本瓦(焼き物の瓦)だけであった。瓦は粘土を焼成して作るのだが、焼成温度の違いによって性質の異なる製品が作られる。

 山陰や東北の多雪地域地域に使用される瓦と比較的暖かい山陽や九州地方に使用される瓦は性質が基本的に異なるものだ。多雪地域には凍害に強い赤瓦や黒瓦を使用している建物が多く、雪が少ない地域では“いぶし瓦(銀色の瓦)”がよく使用されているのはその為である。その違いは磁器と陶器の違いのようなものだと思って頂ければ良いと思う。

これらの瓦の中で私がもっとも美しいと感じる瓦は“いぶし瓦”である。このいぶし瓦は比較的低温で焼成される瓦で、昔はその表面を松葉でいぶして銀色の色を付けていたそうであるが、現在はガスでいぶしていると聞いてる。
それ故にこの瓦は赤瓦などに比べると柔らかく吸水性が少しあるので多雪地域には向かない(冬季に雨や雪が降り、瓦が水分を含みそのまま凍ってしまうと水分は膨張して瓦の表面に亀裂を生じさせる:この現象を俗に凍害又は凍みると言っている)。

 瓦の話をしようとと思っていたわけではないのだが、この様な知識があると車や新幹線などで旅をしていても、その地域にどのような瓦が多用されているかを見るだけでも地域の特性が分かり楽しさが増すものである。

 日本の寺社仏閣やお城の屋根を見ると“いぶし瓦”がよく使用されていることにお気付きだろうか?。そしてその時それはとても美しいと感じられたことがあるのでは・・・と思います。実はそれを見て美しいと感じることには共通点があり、その一つは銀色に輝く瓦と真っ白い漆喰の壁が織りなす色の対比と視覚重量だと言えばお解り頂けると思いますが、しかし残念ながらこの二つだけで建物を見て美しいと感じている訳ではありません。

皆さんが美しいと感じたこれらの建物はどれも軒(建物の外壁より外に出ている屋根の部分)が大きく張り出していたはずです。長いものでは3m以上のものもあり、その重量を支えるため軒の根本の部分には二重三重の垂木を使用して軒先は薄く見せている工夫がされているからなのです。元々長く張り出した軒の目的は建物(主に外壁や建具「当時は木製の建具で雨には弱い」)を風雨から守るためのものなのだが、それはちょうど傘を開いた状態に似ているもので、とても力学的に調和がとれていて美しいと感じてしまう。先端に支えが無いから不安定なようにも感じられるのだが、軒の出と軒先や根本の厚みをうまく調和させると実に美しくなる。

 この軒の先端から根本の部分を極端に薄く見せると屋根が飛んで行きそうにも感じられて、とても不安で弱々しい印象を与えてしまうが、これは“数寄屋”建築(日本建築の中で女性的な優しさや優雅さを表現する手法)に用いられてきた。

だが軒の先端に柱でも付けようなら、ちょうど開いた傘の先端から親骨が中棒に向かって取り付いている(落下傘が開いたような状態)ようなもので、美しさとは無縁のものとなり人の美的感応を刺激するものではない。軒先の出の長さと厚み、この調和で建物は活きもすれば死にもする。また屋根は小さく幾つにも切って表現すれば美しさを損ねるもので、できるだけ大きく表現し、可能であれば建物の屋根は一枚の大屋根にして瓦の美しさを強調すれば一層の効果を引き出すことができると思っている。

 人とはある意味他の動物とあまり変わらず、とても単純な感覚を持った生き物で、自分以外の“もの”を見たときに感じる尺度の基準は自分の体の大きさになっているので、比較的に自分の手の届く感覚の範囲で捉えられるものには感動も感激も生じないが、その感覚を少しでも超えると“すごい”と思ってしまう。建物で言えば、大きな屋根・天井までの高さを持つ扉・高い天井・広い部屋・長い廊下や大きな一枚ガラスの窓など、自分の体が尺度の基準になっているためそう思わざるを得なくなる。しかしこれはちょっとした手品のような手法で人をびっくりさせて、感激させるものであり建築の本質とは少し異なる。

 人が感動するにはある程度の大きさがあるか、また極端に小さいものであれば神秘的な感動すら起きるものであるが、それだけでは大きな感動が生じるものではない。例えば、中国の天安門広場から見える紫禁城はその大きさに圧倒されるが私は美しいとは感じない。

とてつもない大きさの瓦屋根ではあるが、あの赤い色の瓦は頂けないし、韓国などではその上に軒の先端が極端に曲線を描き上向きになっているのも美しいとは感じられない。共に寒い地域に建つ建築物なので必然的なことなのだろう・・・本当に日本は幸せである。少なくとも温暖な地域では美しい銀色の“いぶし瓦”が使用できる。 

話がまた横道に逸れてしまったので本題に入ります。 

 深い軒の下に身を置くと、自分の体は屋根の下にあるがこの場所は外部空間であり、足下は土である。外にいる感覚なのだが、何となく完全な外にいる感覚では無いような気持ちが生じる(ここに縁側でもあれば更にその感覚は増してくる)。

つまり深い軒は、軒先(屋根の先端)を境目に外と外部での内、内部でない建物の外の中で最も曖昧な(外)空間であり、この場所はとても心地良い。昔はこの場所は縁台将棋や茶飲み友達の井戸端会議に提供されて地域の交流場所にもなっていた(欧米で言うオープンカフェは日本にも昔からありました)。

しかし、近年深い軒を持つ家を見ることが少なくなった。最も狭い敷地では建築基準法の規制(建ぺい率や複雑な防火規制)があり、経済的にも負担が大きくなるので、なかなか手に入れられない現状ではあるが、日本にいて我が家を新築しても日本建築の美しさと心地良い空間を手に入れられず一生を終えることになるのは淋しい限りである。

 昔はどの家にも深い軒と縁側があり、その縁側は庭を介して道路に面して造られていたものだ。 縁側では近所の人と、お茶を飲み会話を楽しみ、小春日和の日などは老婆が日なたぼっこや編み物をしていて道行く人と挨拶を交わし、見慣れぬ人が通ろうものなら“よそ者”が今通ったと興味を示し、防犯上とても良い見張り場所が町中に有ったと言うことになるし、とても開放的な家造り、街造りであったと言えよう。

 しかし現在の新興住宅団地を通ってみると、日中でも人影は全く無くて、無人の町かと思うほどである。建っているどの建物も道路に対して閉鎖的で、外で何が起きているか?全くの別世界の状況下である。悪しき欧米の文化を誤って取り込んでしまった日本の社会は、人の心も新興住宅団地の形態も同じ呈をなしている。元には戻せないものだろうか?。

 随分前のことであるが、友人に依頼されて都市再開発に関わる住居移転の新しい「まちづくり」の計画案を作成したことがあるので、その時の案を載せてみます。 (こちらをクリック)

 二十年近く前のことだと記憶していますが、基本な想いは今も変わっていません。ただ不鮮明な資料なのでご容赦下さい。