Vol.12

「住い 〜その6〜」

今回は庭について話してみたいが、その前にご報告があります。

当社の才媛、鵜飼慎子が今年の一級建築士試験に合格しました。本人共々私もとても嬉しくて、喜んでいるところです。今年の一級建築士の合格率は8%であり、年々資格取得が難しくなってきている。姉歯事件以来、猫の目の様にころころと変わる建築基準法、設計実務を知らない官僚が作成する法律は、エレベーターの如く厳しくなったり緩めたりで迷惑を被るのは国民ばかりだが、この難しい試験に合格して資格を取得してみても、実は何ら“良いこと”が無いのは実に残念である。

建築士の社会的地位や収入を医師並に上げれば、姉歯のような事件は皆無に近くなると思っているが、国交省はそう考えないで、法律を厳しくする事で建築士を締めつけ、縛る。これは本末転倒な話なのだが、無知な奴等に理解はできない。

建築士法が制定されたのは昭和25年であるが、それから60年近くが経った今も、当時から言われていた名言が今も脈々と生き続けている。それは「足の裏のご飯粒資格」と言い、意味は“取らなきゃ気持ち悪いが、取っても食えない”である。こんな状態が60年も続いていては今後も姉歯事件は無くなるまい。医師は資格を取得した日から高給、高待遇の道が開かれ、公認会計士や弁護士もそれなりのもの(地位)が社会から与えられるが、建築士に限っては皆無である。

医師に掛かった病人が死亡しようが、治るまいが、重大な医療過失でもなければその責任は問われないし、報酬も受ける。税理士や公認会計士が税法上の問題で何らかの失策があっても、企業はその追徴金などの被害(災害)に対して税理士に損害賠償で訴訟しない。弁護士など訴訟で敗訴しても、弁護士報酬は取る。建築士は一歩間違えれば生きている人間を殺してしまうほどの責任を負っている重大な仕事をしているのに、その社会的地位や報酬が低く、特権も全くない。その上、仕事上のわずかな過失(?)でもあれば建築主より責められる事もあろう・・・これでは本当に踏んだり蹴ったりではないか。

私は若い頃、良い建築主の方々との出会いが多くあり、比較的恵まれた状況下で仕事を続けて来れたが、よく我慢して30年も続けてこれたものだと思っている。自分さえ良ければ良いと言う訳にはゆかない。社会とはそうでなければならないと考えている。なぜそう思うかと言うと、それはゴミ捨て場所である「夢の島」の中に豪邸を建てて住んでいると同じ事に思えるからである。こんな社会は我慢ならんと言うのが私の思想であり、価値観なのだ。それ故に、若い頃より対人関係で衝突が多く苦労してきたが、別段後悔もせず、現在も淡々とやっている。

前置きが長くなってしまいましたが、もう一つ。先日、養老孟司氏の著書「ぼちぼち結論」を読んだ。氏の本はとても思考が面白く、価値観も共有できるので大好きなのだが、この本の中にひとつだけ“あ〜この人もやはり公務員なんだ”と思える下りがあったので聞いて下さい。

彼はご存知のように東大の教授で解剖学者だ。そして趣味は昆虫採集である。その彼がこう言っている。「会社が潰れたからって、何で自殺するんだ。会社が潰れたら喜んで虫取りに行っちゃうんだが、一人がそう言うともう一人が言う。会社を潰して虫取りに行った奴もいるよ」
私は今まで彼の著書の中で不可解に思ったことは一度も無いが、これには少し疑問が生じた。彼は公務員で生活の保障と退職金が用意されているから、中小零細企業が倒産した場合、その経営者がどのような状況下に置かれるかが理解されていないのだと感じた。死以外に道は残されない心情が分らないのだろう。所得も無くなり、家は抵当に取られて住む所も無く、毎日の食べ物にも不自由な生活が待ち受け、その上かつての社員に支払ってきた給与、賞与、納税の為に、連帯保証人となっていた為、金融機関から借りた金銭の保証が一生つきまとい追われるのである。とても気楽に虫捕りと言う訳にはゆくまい。虫捕りに行くにも金は要る。公務員とはそう、ある意味気楽なのだという事であろう。自分の給与の一部は自殺したいと思っている。会社を潰した人の税金からも賄われていた事実を知らないでは済まされない。

さて本題の「庭」です。

実は今年9月に京都在住の著名な造園家の方の講演を聞く機会に恵まれて参加した。講演の内容は実に良いもので、庭造りの手法から意図、そして石木などの配置等実に興味深いものであり、楽しくてとても勉強になった。各界著名人や記念館、○○庭園などの有名な庭の映像も拝見したのだが、私にはどうしても解せない事があって、今日まで不思議に思っていたのだが、今回の講演を聞いてそれが解ったような気がした。

庭とはそもそも敷地の中に設けられたもので、木や石を配し又、池や泉をも造り、人工的な美しい自然の情景を想像して生活に潤いを与えるものであろうと理解している。その庭には二種類あって、一つは「庭」のみが存在する庭と、もう一つは建物に付随して設けられた庭であると考えている。前者は兼六園や水前寺公園など美しくて日本でも有名な庭園であり、後者は住宅やその建物に付随して設けられた庭である。
今まで多くの庭や庭園を見てきたが、どうもしっくりとこない感覚が残っていて、それは庭園で感じることはなく、庭で感じることが多かったし、そしてその多くは有名な庭師の作品であった。庭師は建築家と同じように主義・主張・手法があり、歴史も深く、学問として確立はされていないようだが、その庭師の感性と技術を持って作品庭を造るということは理解が出来る。それ故に庭園だとその感性に触れて、とても感動したり感激したりしたものだが、庭になるとそうでもない。ある意味違和感を覚えた著名な庭が沢山ある。結論から言うと建物が主なのか庭が主なのかということである。

私は自分が建築の設計に係わっているから建物を主とするべきだ、と言いたい訳ではない。どう考えてみても庭は建物に付随するもので、庭に建物が付随するものではなかろう。庭園はその逆と言える。建築家は庭園の雰囲気を壊さないように庭園内の施設を考えるが、著名な庭師ほど自己の主張が激しくて、建物との調和を考えずに造園をしたのではなかろうかと考えている。庭の主張が強すぎて、建物との一体感に欠けてしまい、全体として美しく感じられなくなり、失望したことは多い。

そもそも庭とは大自然の美しさを、その限られた敷地の内に人間の知恵と工夫、手法を持って造るものである。著名な庭には「この石が○○を表し、この砂が○○湖を形どったもので、この木が人間の儚さを表現したもので・・・。」と大そうな御高説が付いている。しかし、どんな言い訳や解釈を付けてみても、元の大自然の美しさには適う訳がない。まあ、だからこそ凝縮して身近に造りその大自然を感じようとする事に意味があるという。

本当にそうであろうか。大自然の美しさとは、人が手を加えない美しさである。小高い山や丘から見える、瀬戸内海に浮かぶ島々と海の調和や色彩の美しさに魅せられた人は多いと思う。自然とは樹木がそれ自体育ち、形を自ら美しく整えてゆくのであり、山の傾斜や湖は重力の法則に従い、幾千年、幾億年と雨風に打たれて形成された美しさである。それを人間が理屈を付けて人造凝縮版として庭に配置しても美しさは感じられない。枯山水など哲学的な美しさはあろうが、建物との調和がなければ庭としては意味を成さないと私は考える。
例えば樹木のうちで広葉落葉樹と呼ばれる種類は、人が見てとても美しい姿を自らが作り出す。欅、桜、いちょう、紗羅の木、樫の類などである。しかし、松は自ら現す姿はとても美しいとはいえないので、美しいと感じるには人の手が要る。剪定を繰り返し、枝を固定してあっちへ引っ張り、こっちを切り落としと、人が姿を造ってやらなくてはとても見れたものではない。

私はどんなに世間が素晴らしい庭だと言ってる庭を見ても、松が植えてある時点で、もうがっかりである。美しく感じられない。庭に松があって悪いという訳では無いのだが、人の手を加えた松の美しさは、庭師の手に掛ってしまうと、余りにも人工的すぎて美しくは感じられない。まだ不細工な自然界の松の方が美しい姿をしていると思えてしまうのだ。

私の理想とする建物と庭とは、小川が流れている傍の広葉樹の木立の中を少し切り開いて建てるのが最も良い敷地の選定であると考えているが、現実はそうはゆかない。仕事や教育、現在の生活の利便性(これが今の世をダメにした元凶でもあり、世界中が目くらましにあい、荒廃の原因となっていることなのだが)を言えば、世捨人にでもならない限り、このような環境に家を建てることなど出来るはずもない。

だがしかし、我が家の庭をこれに近づける方法が一つだけある。それは小難しい理屈や理論の自然界凝縮庭を造るより、落葉広葉樹を調和良く整えて植え、小さな池を配置するか、又はせせらぎの音が聞こえる程度の水の流れを設け、少し彩りを添える季節の草花を植える事であろうと考えている。落葉した裸の木は、冬には暖かいお日さまの光を届けてくれ、初夏には瑞々しい新緑の美しさを真近で見ると、それは本当に美しい。まるで赤ん坊の肌の如く、やさしい葉を呈してくれるし、真夏には生茂る枝と葉で直射日光を遮り、庭にはその木の影が写り、涼しそうなこと・・・。建物と一体になった庭は、生活にこんな潤いと季節の移ろいを見せてくれるが、常緑樹(松や杉の類)はこうはゆかない。お解り頂けると思います。

話が前後するようだが、庭を歴史的にみると平安時代に中国よりその手法が伝わっていて今日まで来ている。中国の庭とは、それまでの皇帝が造らせた庭が多く、その規模たるや、とてつもなく広い庭園であった。国土の広さや当時の皇帝の力の強大さは日本と比較してはいけないが、当時より自然を模擬した庭園を作らせているけれども広さが違う。それは大庭園であり、建物などその庭を見るための休憩所程度のものであった。つまり、庭園が主で建物が従の姿であった。それが日本に伝わり狭い国土の中で宗教や様々な思想と融合して現在の姿となったものであろう。

縮小、凝縮の姿を呈するものとして、盆栽も同じような意味合いを持つものだと考えているが、美しくあれと整えられた盆栽は見事だと思うが、気の毒でならない。少し哀れで窮屈で可哀そうな気持ちすら生じてくる。

しかし、縮小、凝縮する文化とはある意味“簡略”の手法、本質の手法と言えなくもない。日本では平安時代の頃より中国(唐)の影響を受けながら絵画や書、楽器と相互に絡み合いながら東洋の輸入文化を日本独自の文化に高めてゆくことになる。

続きは後日。