Vol.15
「〜外来種〜」
外来種の意味は、外国に生息している動植物が何らかの理由で日本に持ち込まれ、生息・増殖をしていることを指していることのようだ。
実はこの外来種の中に「ブルーギル」という魚がいる。姿は海タナゴに似ていて、鱗が少し大きくて青みがかった色をしている魚だ。この魚、私が大学生の時、既に山口県の片田舎の小さなダムに生息していた。
私は魚釣りが好きだということは以前お話ししたと思いますが、海釣りだけではなくて、小中学生の頃は、ため池や川で鮒や鮠(ハヤ)を釣って遊んだものです。
でも、当時は「ブルーギル」なる魚は釣れなかったし、その名前すら知らなかった。
この「ブルーギル」という魚に初めてお目にかかったのが、私が大学生の時で、ダムで鯉釣りをしているときに釣れ、初めてみる魚にこんな淡水魚がいたのか?と不思議に思った記憶がある。大きさは10センチ前後のものばかりであったが、名前も判らず、珍しいこともあり、姿もそこそこ美しいと思ったので、家に持って帰り水槽に入れて飼ったみた。名前は魚類図鑑で調べてみて「ブルーギル」だと判明し、大きさは30センチ程度になると書いてあったが、その後何度も同じダムに釣りに行ってみても、そんなに大きいものを見ることはなかった。
飼ってみて判ったことだが、こいつはとても悪食で、餌は人間が食べるようなものなら何でも食べる。しかし当時この魚がどう猛な魚食魚の類で、在来種を食い荒らす魚とは想像だにしていなかった。
この「ブルーギル」は1960年(昭和35年)今から50年ほど前に天皇陛下(当時は皇太子)が渡米の際に土産として十数匹が贈られて日本に持ち帰り、研究のためにそれを水産試験場に渡した後、杜撰な管理下にあって逃げ出したものか、意図的に持ち出されたものなのか不明であるが、わずか10年後には日本中で繁殖しているとの記述がある。
水産試験場は行政の管轄だから、皇太子からの預かりものを粗末にするとは到底思えないのだが、現実そうではなかったということは、今も昔も行政のやることは・・・こんなものなのですね。
私が大学生の頃の1970年(昭和45年)には、1960年に十数匹だった関東の「ブルーギル」が僅か10年で山口県の小さなダムにまで来て生息していることは、この魚の繁殖力のすさまじさを物語っている。
ここ数年特に問題になり社会を賑わしている「ブラックバス」もこの類の魚で1925年(大正13年)に政府の許可を得て日本の実業家が、釣りの対象魚としてアメリカから輸入し芦ノ湖に試験的放流をしてからが起点である。
当時は他の湖や河川への放流には規制を加えていたようだが、その効もなく1970年には日本中に繁殖している。この繁殖の広がりの早さは間違いなく人為的に他の湖沼や河川に持ち込まれなくては起きない現象である。そのせいで、日本にいた在来種は食い荒らされて絶滅に近い魚種が多く出てきている現実は、このままにしておくわけにはゆかない。これから先、人間の科学がどれだけ進歩してゆこうが、その力を駆使しようが「タンパク質を合成して生命を創造することは出来ない」。
その逆もまた然りで、一度失った生命は再び蘇らせることも出来ない。日本に生息してきた在来種を「ブルーギル」や「ブラックバス」のせいでその種を失ってしまえば二度と元には戻せない。
当時このような現実が起こることを予想もしないで、外来種(魚)を釣り上げて、その魚を他の場所へ放流した者を“心ない者”と呼ぶには少しかわいそうだと思うが、一端日本中に蔓延してしまうと完全撤去は不可能に近い。しぶとい生き物ほど生命力が強くこの世に蔓延る。
また、釣り具メーカーは、ブラックバス釣りをスポーツだと称し、「プロ」を育成し、バス釣り大会まで催して、自社製品の売り上げを伸ばす為に、日本各地の河川やダム、湖に「ブラックバス」を放流していた社員がいたという。何と我田引水的な破滅思考であろう、日本の在来種を、釣り具メーカーの思惑で失ってはならない。こんな釣り具メーカー潰してしまえ!
このような現実を全て外来種のせいにするつもりもない(ダム建設や河川の護岸工事などで国交省は在来種の生息域を奪う自然破壊の旗手をやってきている)が、このまま放っておいてはいけないことなのです。
絶滅寸前の在来種である「川タナゴ」は思い遣りのある、心優しい、かっての「日本人」で、これを食い散らした「ブラックバス」を「欧米人」に置き換えれば、戦後に悪しき文化を取り込んだ日本の人間の社会は、魚の世界と同じ有様である。
数年前になるが、以前にお話しした“鶏肋会”(大学生を集めての勉強会)での話で、次のようなことがあった。勉強の時間が終わり雑談をしていたときのこと、時々勉強会を休む学生がいたので「おまえ会を休んで何をしているんだ?」と聞くと、(この学生は他の大学とのサークル活動などに顔を出している子だったから、てっきりサークルにでも・・・と思っていた)その時はたまたま釣りに行っていたようで「釣りに行っていました」と返答したので「学ぶことより釣りの方が大事か?」と冗談ぽく諭しながら「で、何を釣りに行ったんだ」と聞き返したところ「バス釣りです」と答えてので、「釣ったバスは殺したか?」と訪ねたら「いいえ、殺しませんよ!放しました」と言う。私は外来種が在来種を絶滅の危機に追い込んでいる現状を話して聞かせたのだが、帰ってきた言葉は「でも、釣りはスポーツですから・・・」であった。正に釣り具メーカーの宣伝効果が、若者に浸透している。
私は「釣りはスポーツではない!食べるため(又は鑑賞・飼育)に釣るのでなければ釣りにゆくな!」と言ったのだが、欧米の悪しき文化の一つでもある(釣りがスポーツ?)に毒された若者の心には届かなかったようだ。釣りがスポーツなら漁師はスポーツマンかい?欧米でも漁師をスポーツマンとは言うまい。釣り上げて放流するのは食用には適さない幼魚であって、ただ釣って楽しむとは魚に対して失礼であろう。
ただ釣って楽しむことが悪いと言いたいわけではないのだが、その為に在来種を食い荒らす悪食の外来種をあちこちへ放流されては適わない。広大なアメリカ国土は日本の国土がすっぽりと入るくらいの湖を持ち、全長数千キロの川も沢山ある。中でもミシシッピ川など全長6000kmにも及ぶもので、川幅に全長を掛け合わせた体積(水量)は想像を絶する。それに比べ日本では最大級と言われる信濃川でさえ全長367kmでとても比較にならない。どう猛な魚食魚であっても、広大で無限に近い生息環境を有するアメリカなら、他の種を絶滅させるほどには至らないが、狭い日本ではそうはゆかない。
余談になるが、欧米からのものに「ルアー」と言う疑似餌(餌に似せて作ったもの)がある。勿論日本にも古くから「毛針」と言う疑似餌があるが、私はこれが嫌いである。なぜなら釣られる魚は己の命をかけて餌に食いついてくるのだ。上手く餌をとれば魚の勝ち、しかし針に掛かれば魚の負けで人間に食される羽目になるわけだから、釣りとは魚との真剣勝負で、人と魚の一騎打ちと思っている。それ故に餌は本物を付けてやりたいと思う。立場を変えて人が同じ目に遭わされたら、どれほど悔しいだろうと思うと疑似餌には疑問が残る。
魚は食物連鎖の頂点に立つ人間が命を長らえるための犠牲種だ、遊びで釣るべきではない。
以前アメリカに移住した欧州人(今はアメリカ人と言う)は、狩りと称してアメリカに生息していた100万頭の野牛(バッファロー)を狩猟(遊び・スポーツ)目的で絶滅させている。その時彼らが言っていた事は、銃で仕留めた時に、体重が1トン以上もある巨大な野牛が、地響きを立てて倒れる様が快感だったようだ。まるで魚の引きと同じ感覚だったのであろう。日本でも古くから狩猟は行われていたが、全て食用とされたもので、遊びで狩りをし、動物の命を粗末にしてきた記録を私は知らない。(タカ狩りなど一種の遊興目的で行われていたものもあるが、捕った獲物は全て食用にされていた。)
何でもかんでも欧米から輸入すれば良いわけではないし、人間を含め全て地上に生きとし生けるものは、その自然環境が成す地域に適合した種が栄えるものなのだ。この自然の摂理に反して無理矢理に他の地域から別の種を持ってくれば、必ず地域環境の調和は崩れる。
植物で言えば子供の頃に聞いたのだが、黄色い色をした「セイタカアワダチソウ」が農地にはびこり、百姓が困っていると言う話だった。その時に次のようなこともよく言われていた。この「セイタカアワダチソウ」は日本が戦争に負けて進駐軍がやって来た時、マッカーサー(当時の連合軍最高司令官)の靴底に付いていた種が日本に落ちて繁殖したのだと。
まあ靴底はどうかと思うけれども、恐らく種は日本に運び込まれた様々な米軍の軍需用品等(最も可能性の高いのはジープのタイヤの溝)に付着していたものであろうと思われるが、そのようなことは当時も理解していた上で“マッカーサーの靴底”と表現していたのではなかろうかと想像すると、何とも皮肉で洒落た言い回しではないかと、今になって感じる。
国破れて、米国人の靴底で踏みつけられた日本が、勝戦国によって持ち込まれた様々な悪種に迷惑している実態の表現として使った言葉だったのだろう。しかし、それは現在も続いていて、日本国自体の存続をも危ぶめている。
これまで食用蛙の餌にする目的で輸入された「アメリカザリガニ」や軍需用の毛皮目的で「ヌートリア」などの他、多くの種が輸入されていて、日本に入って来ている外来種は現在1000種以上に及ぶという、そして同じ数ほど在来種が絶滅またはその危機に瀕していると言われている。
人間の都合で持ち込まれ、持ち出された動植物には気の毒だが、駆除しなければならない外来種であるか否かを十分に考察した上で、駆除には国を挙げて取り組みたいものである。
広島で言えば、廿日市市に発祥した「アルゼンチン蟻」が近隣市町村に繁殖して困っている話がある。ここ廿日市市には日本でも有名な建材メーカーの工場があるところで、建材の原材料である輸入木材に付いてきたのであろうと言われているが、まさか「蟻」でこのよう事態になろうとは誰も予測がつかなかったろう。個体は小さいのだが攻撃的な「アルゼンチン蟻」は日本固有種の蟻を攻撃しているとの報告もあった。
今世紀に入って国会や地方公共団体が外来種に対しての立法や駆除に対する予算付けなどを行っているようだが、遅きに失するの感がある。しかし、もっと恐ろしい事は、日本人の心に棲みついた外来種思想が、日本中を侵食していることだ。魚は目に見えるけれども、人の心は目に映らない。政治家や官僚に外来種思想駆除の思いが芽生えるのはいつの日であろうか。
外来種の弊害が叫ばれていても、ペットなど金儲けのために違法承知で輸入されている動植物は未だに後を絶たない。人間の浅ましい欲と卑しさに宿る心は「神」と言えども勝てはしない。
今の日本、戦後良かれと思って諸外国(特に欧米)の文化や物を輸入した「結果」はこの有様である。日本人の心に輸入された欧米の文化が、どれほど良き日本の文化を駆逐したか、動植物の世界も人間の世界も変わりはない。
本当の余談だが、大学生の時釣って帰り、1年余り飼育していた「ブルーギル」を、実は食べた。味は中々美味であった。又、「アメリカザリガニ」も食べたことがあるのだが、これには訳がある。水槽で飼育し、とても可愛がっていた金魚を食べたので、怒りにまかせ鍋ゆでにして食べた。そこそこ美味しかった。