Vol.18
「ことば 〜その2〜」
ある新聞にでいていた記事の中に、日本語についての記述があったので、ご紹介したい。
それは食感について書いてあり、以下の内容であった。
日本語には「サクサク」「とろける」など445語もの食感表現がある。英語の77語、ドイツ語の105語などに比べてはるかに多く、「食感に対する日本人の繊細さを反映している」と分析する。
この差こそが、文化の差であり、恐ろしいほどの差と言って良いけれども、この記事の内容では「食感に対する繊細さ」のみを挙げているが、欧米人と比較しての日本人の繊細さは「ありとあらゆる生活面に現れ、文化発祥の根源に関わるもの」である。
その文化発祥の根源とは、すなわち「ことば」であるから、逆に言えば「ことば」が「文化」を産みだしていると言うことになる。従って欧米に比べ圧倒的に「ことば」数を多く持つ日本人の優れた感性を「ことば」数の少ない欧米人が理解できるはずはない。
だから、人が生活の中で感じる「不満」や「不都合」に対する「より良いもに・・・」の想いへの「改良」の度合いは、全ての面において欧米人より日本人のほうが良いものを生み出してきている。
通常、有形であれ無形であれ、この世では人の「想い」が「ことば」になり、「ことば」が「かたち」になる過程を辿る。
日本人に比べ「ことば」が未熟な文化圏で出来上がる「農産物をも含む、あらゆる製品」はこの記事の示すとおりで、製品の優れた順位で言えば 日本製 > ドイツ製 > 英語圏国の製品 となっていると言っても異論を挟む人はいないだろう(ドイツには性能で負けていると感じるもがあるが、全般的にはこの通りだと言って良いと思う)、私の日本文化世界最良説を証明するものの一つであると思います。
故に「ことばを乱してはならない」のです。何をしても自由であり、全てが平等であると言う「欧米の誤った文化」は一刻も早くこの日本から排除せねばならないと思うのだが、己の身の保身を計り、国民の役にも立たない公益法人をあまた作って「天下り」に「渡り」を繰り返す官僚と、日本人であることが恥ずかしいような誤読を繰り返す人物が「(あっそう)総理」に選ばれている今の日本ではお先真っ暗だ。