Vol.04

 「〜その4〜」

 戦後の日本で経済成長が続く中、私の記憶(小学生の頃だったので・・・)が正しければ初めて手にした家電製品はテレビだったと思う。それまでの情報伝達手段は新聞・雑誌等とラジオが主体だったから、文字と音声のみで情報(娯楽を含めて)を取得していた。

映像が全く無い情報や娯楽においては、目で追う文字と耳から入ってくる音だけで内容を判断しなければならないわけだから、新聞雑誌などは、目で文字を追いながら中身の情報を想像する(これは今でも変わらない)。ラジオは音声のみで内容の情報を想像することになるから、一言一句を聴き漏らすまいと耳を澄ませて神経を集中させ、連続ラジオ劇などでは、聞こえてくる音声を元に、登場人物の姿や動きを頭の中で映像化する。

毎日がこのような状況下なのだから、日常生活をしているうちに自然と想像力(創造力や予測力も)が身につく。その後テレビは凄まじい勢いで普及し、今では一人が一台以上(携帯電話でテレビが見られる)所有している状況だ。
私の感覚では、テレビは映像が主体なので、中身を理解しようとする頭の中の振り分けは、視覚が八割で音声は二割位だと思っている。それ故に、現代人は想像力、創造力、予測力がとても欠如してきたといって良いと思う。

だからといって、別にテレビが悪いということではなく、「百聞は一見に如かず」の諺通り、とても良いものだと思うが、やはり使用方法やとらえ方を、自らがよく考えて利用しなければ、放映している側の番組内容や取材手段等に大きな問題があるので、知らないうちに馬鹿(前述した能力の低下)にさせられたり、とんでもない錯覚を起こす。

今まで少し気になっていたので行きがかり上、余計なことを書いてしまいました。話を続けます。

 それから、次々と家電製品が日本の中で発売され、それは洗濯機に始まり冷蔵庫、掃除機、電気釜、トースター、電気こたつ、電動ミシン等である。家電製品ではないが、それまで主な燃料であった炭や練炭に代わり、ガスコンロも普及してきた。

これらの製品は全て、当時、既に欧米では一般家庭で普及していた製品だ。前回お伝えしたように、非効率で非文化的?な家事をしていた日本の「嫁」は勿論のこと「家族」も、これらの製品が一つ一つ手に入る度に小躍りして喜んだものだ。

「男(主人)」は「嫁」や「家族」のために、これらの製品を買い揃えようと懸命に働いたのだけれども、ここでよく考え、見極めねばならないことがある。

それは、買い揃えた家電製品は全て「嫁」の家事が楽になるものばかりだったということだ。これらの家電製品の中で「嫁」以外の者が実用的なありがたさを感じたものは何だったのかと言うと、恐らくそれは冷蔵庫だけだと思っている。

仕事で疲れて家に帰って、冷えたビールが飲める「主人」と、冷たいジュースや氷を喜んだ子供達だ。これは嬉しかったに違いないが、買い揃えていった家電製品のなかで、「嫁」以外の者が恩恵らしきものを賜ったのはこの程度であろう。
洗濯・掃除・調理と今までから比べると比較にならないほど家事が楽になり、「嫁」には家庭内での時間的余裕が生まれた。ここまでは、日本中の家族全員が喜んだことだろうが、家事が楽になり、余ってきた時間を「嫁」は一体何に使っていたのだろう?。

 当時の「嫁」は余裕ができた時間を家業に回したり、編み物(セーター・マフラー・手袋など)や縫製(子度達の服なども自分で作っていた)などと、今まで以上に家事の内容を濃いものにしていった。

丁度、映画「三丁目の夕日」に描写されているような状況で、まだ日本中が貧しかったけれども、希望と活気が満ちていた時代だ。子供達は暗くなるまで遊びまわり、その姿を近隣の大人達が至る所で仕事や家事をしながら、また道路が見渡せる縁側から見守っていた。

このような状況下に、欧米の「自由」と「平等」が入り込んできて、テレビの普及に伴い、あれとあれよという間に日本中に浸透していった。ちょうど団塊の世代が中学生・高校生になった頃だ。社会全体(新聞・テレビ・雑誌等)が、また大人達が話す内容など、何となくではあるけれども、今まで過ごしてきた様子と少し違ってきたように感じたものだ。そして思春期の若者達は「自由」を「何をしても良い」ことだと錯覚して捉えた。

今まで「何をしても良い自由」と「誰もが平等」という観念の土壌がなかった日本人の意識の中に急激に繁殖してゆく、まるで「セイタカアワダチ草」や「ブルーギル」「ブラックバス」の「外(害)来種」が日本中に蔓延ったと同じようにである。

それまで日本の「自由」と「平等」は、江戸時代に確立された身分制度、そして家長制度やその名残の中において、お互いの立場を理解し、尊重した上での「自由」と「平等」であった。

これはどのようなことかと言うと、「嫁」には「嫁」として許される「自由」と許されない「自由」があって、確かに多少の窮屈さを感じていたであろうが、では他の者にはそれがなかったのかと言えば、それは違う。
「舅・姑」に限らず、「主人」にも「長男」にも「その他の子供達」にも同じように許される「自由」と許されない「自由」は、それぞれの置かれている「立場」によってあったのだ。

その「(尊重する)立場」が「自由」と「平等」ではないのだと誤って解釈、理解して、許されない「自由」を完全否定し、許される「自由」だけを「自由」だとしてしまったものだから、さあ大変なことになっていったのである。

「何をしても許される」ことが「自由」だとなってしまえば、もう日本中が何でもありだ。
だから若者達は「自由」の名の下に、暴走を繰り返したので、一時期「自由をはき違えた若者達」などとよく非難されたものだが、「自由」を捉える感覚に隔たりがあった大人達の側に、「欧米良し」の風潮が浸透してゆく中、その距離が徐々に縮まっていった。
                   続く