Vol.10

 「〜その10〜」

 前回は団塊の世代が欧米からやって来た「悪しき自由と平等」だけでなく、共産国からもやってきた来た「悪しき自由と平等」の両方に振り回されて、大きな勘違いをした結果、ある意味純粋であった学生達が起こそうとした学生(革命?)運動をのことをお伝えしたが、もう少しこのことの補足をしたい。

「悪しき平等と悪しき自由〜その9〜」では、当時の学生運動は国立大学の学生達だけがやっていたような記述をしてしまったが、実は私立の大学や僅かではあるが高校にも波及していたことを追記する。

何故あのような記述をしたかと言えば、当時はまだ学生であった私の幼い思考でも“国立大学の施設や学生の授業料などは、全てと言っていいほど国費(元は国民の税金)で賄われいる”認識があったから、国民の税金で面倒を見て貰っている輩が、国民の賛同が得られない行動を起こすこと自体が不自然で納得できなかったからである。

 話が道草を食うけれど、私など、学問の為にする学問は好きでなかったから、歴史の年号を覚えるような勉強は大嫌いで、仕方なくやっていた程度だから、当然成績も余り良くなかった。

そのせいで国立大学に入りたい想いはあったのだが、嫌いなことには体と頭がついて行かないもので・・・と、不勉強と国立大学に行けなかった訳を言う機会を与えていただきます(全く理由になっていないのだが・・・)。

私の父は勤め人で母は地方公務員(小学校の教諭)だったから、当時では貧しいと言うほどでもなく、裕福な家庭と言えるほどでもなかったと思うが、私の下には、まだ妹と弟がいた。

私立の大学に通う身で、国立大学に合格していたら、親は金に苦労せず少しは楽だったろうに・・・との想いが、いつも頭から離れなかったが、何せまだ子供だ!後から後からでなければ色々なことが理解できなかった。

しかし、そのような私の想いとは別に、彼等の言い分は“学問のない無知な国民は国に騙されていて、マルクスの良さを知らないだけだ。革命が成功すればきっと理解してくれる”の屁理屈が頭の中を支配していて、恵まれている自分達の境遇には、聞く耳持たん!の状況だった。

でもこれは何処かで聞いた言葉とよく似ている内容で、それはこの国の官僚が持っている意識“国民は無知だから、我々が指導してやらなければ、生きてゆけない”と同じようなものではないか!。

偉い旧帝大出身者達の立派で、思い上がった意識のお陰で、戦後本当に窮屈で住み難くなり、一般人の犯罪者を多数この世に産み出してくれたことなどに対して、心より感謝申し上げたい。

その上、ある程度は信頼していたのに、最近話題の居酒屋タクシーに役所の裏金蓄財や払い込み年金消滅、500社を越える社会の役に立っていない官僚の天下り先での国民の酷税の垂れ流しなど、数え上げれば切りがないほど国民を裏切る官僚と役人達のやっていることは、本質の部分で学生運動と何ら変わりはない。

この辺りは前回お話ししたように、純粋な学生達に「悪しき平等と自由」を教えてくれた偉い人道的?大学教授様達のお陰である。

 共産主義や社会主義の人達は不遇な?自分達の境遇に納得できず、時の権力者に取って代わりたいだけの本心を隠し、詭弁(人は皆平等である)をもって社会を煽動していると私は確信しているので、その証拠と思えるものを挙げてみる。

まず、これらの国は必ずと言っていいほど内部の権力闘争で同胞殺しをやってきているし、労働を搾取されてきたと言われる国民の貧しさは王政時代と一向に変わってはいない。しかし、議長や委員長、主席などと呼ばれる人物の持っている支配権力や権限は王政時代より強いと思えるほどに強力だ。

その上、その国の長い歴史や培ってきた文化、芸術まで否定し、粛清と言う言葉の隠れ蓑で合法的殺人までやってきている。本当に“人は平等である”観念から出発しているなら、このようなことが起こるはずはないし、国民は皆豊かにならなければおかしい。

結局彼等の屁理屈な詭弁的言い分の終着駅は、時の権力者に取って代わっただけで、国民にとっては反って悪い結果となっている。それは、“人は皆平等である”の謳い文句の下、非情で容赦ない仕打ちを国民に対して行い、思想統制までやるからだ。

それなら、まだ人情的な部分があったろうと思われる、王政時代の方が良かったろうに、こうなっては手遅れである。

これがソ連や中国・北朝鮮を大まかに捉えた過去の歴史だ。

この辺りのことを表現した面白い逸話があるのだが、何せ古い記憶なので人名や、どちらが言ったのか?などハッキリしないけれども、筋は間違っていないので聞いて欲しい。

ある時フルシチョフとブレジネフが雑談をしている中、ブレジネフがフルシチョフにこう言ったというのだ「もし、我が国が国を開けば、ソ連に残るのは俺と君だけだろうな・・・」、するとフルシチョフは「いや、君だけだろう」と言ったというのだ。

如何に国民を惨い目に遭わせていたかを物語っているが、結局、その後共産国や社会主義国は国を開かざるを得ない状況に追い込まれてきている。

それは、五輪の選手が自由圏の国を見たり、ラジオなどの電波による近隣国からの情報などで、数十年を掛けて国民全員が知るところとなった所以であろうし、いくら為政者が権力でもって思想統制を行って報道管制を敷き、言論の自由を奪ってみても、大きな源流となってしまえば国民を押さえつけられるものではないことの証明であろう。

 このように権力で押さえつけていた一国でも変わることがあるのだから、日本のような国が本来の良さと自信を取り戻せたなら、一気に良い国になることは明白である。

日本国民は、ちっぽけな中流意識と日々の糧に困らない程度で満足せず、悪どい政治家や官僚どもを一日も早く懲らしめ排除して、理想的な社会を築き、世界に見せてやりたいものである。

これは今の世界において、長きに渡って良き文化を持っていた日本にしかできないことの一つだ。

 今や本家本元の共産国や社会主義国が崩壊寸前なのに、日本では、まだ両政党が残っていて、それらを支えているのは労働組合や日教組などである。

何度も言うようだが、彼等は「自由と平等」という意識の下に、自分勝手な屁理屈理論を振りかざしての活動であるから、日本においても衰退の一途を辿っている。

幾ら「労働を搾取され、国民は騙されている」と叫んでも、学生運動をやっていた諸氏の言い分と変わりはしない。

 何故私がこうも言い切るのかを、次回から皆さんにお伝えする予定なので、楽しみにして頂きたい。そしてお読み頂ければ、必ず御納得していただけるものと信じている。

自由圏と共産圏から来た「悪しき自由と平等」がもたらした元凶がご理解頂ける。
 
                                     続きは後日